琵琶湖

日々
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公開:2023/11/24

広大な自然の水にはとんと縁がなく、海や湖を身近に暮らした経験がない。かといって山に強い縁があるわけでもないのだが、私を含め家族は暑さを得意としないため、夏休みの旅行は高原が多かった。海辺に旅行したこともあるが、海水浴はまずしない。生まれてこの方、記憶にある限り自然の水に体を浸したことはない。極限が手先足先までである。

琵琶湖は中学3年の修学旅行思い出の地で、湖畔の高層ホテルの部屋から見下ろした、朝日に輝く湖面をずっと忘れられなかった。小さな(少なくとも私の高さからは小さな)ボートがいくつも軌跡を描き、湖の上を朝早くから走り回る働き者たちに見えたのが面白かった。なぜかレジャーのボートだとは思わなかったんだよな。まあ修学旅行生が朝起きた時間帯に見かけるボートなのだから、乗っているのは地元民であながち間違いではないだろう。

この時の琵琶湖はホテルの部屋から見下ろした風景が全てで、手先足先を浸すどころか下に降りて近くで眺めた記憶がない。ほとりを歩くのはその15年後になった。中3のときと同じホテルに泊まり、再会を楽しんだ。

夜の真っ暗な琵琶湖は巨大な穴のようだった。水の音は聞こえるのに見た目は黒いかたまりで、底どころか湖面すらもどこにあるのかよくわからなくて、音から推測するに水だが、本当に水?と思った。翌朝部屋から見下ろすときらきらした水だった。よかった。

広大な自然の水、というとなんとなくそのような畏怖を感じてしまうのは、身近に暮らしたことがないのも大きいのだろうか。夏のさなかにテレビで綺麗な海を見ても、飛び込みたい、泳ぎたいと思ったことはない。外側から眺めているだけでよく、一体になりたいとは思わない。なので水上レジャーは海水浴ではなく、もっぱら船移動である。

船で水上を移動した思い出というと、小学校で行った長瀞のライン下り、箱根の芦ノ湖海賊船に松江の堀川遊覧船、イギリスからフランスにドーバー海峡を渡ったクルーズ船などがある。風景としての水を楽しんだり、交通を制限する自然の関としての水を渡ったりしたのだ。

いつか死ぬまでに、海や湖や川を見て、ここに浴したい!と思うことはあるだろうか。畏怖も紫外線も着替えの手間もどうでもよくなるほど魅力的な、一体になりたい!と思うような水に出会うことはあるだろうか。

思うに、金沢の雨濡れエピソードに続いてこの内容を書いているあたり、私は「浴した直後に十分な身支度(乾燥!!!)ができる保証」がない状態で体を濡らすことに相当な忌避感があるのだろう。畏怖の念は「間違って落っこちて体や荷物を濡らしたりして無防備な状態になりたくない」という気持ちからきているのかもしれない。旅先でも家でも、バスタオルとドライヤー完備のお風呂は大好きです。

(2023/11/28追記)夕方、家まであと数十メートルというところで追い越した親子連れが、急に曇りだした空を見てか「あめがふったらびしゃびしゃになっちゃうね」「そうだね。でもおうちに帰ってシャワー浴びればいいんだよ」と話していた。びしゃびしゃになったら、可能な限り早く帰って温かいシャワーを浴びましょう。