自分のことについて書いていると、適切な言葉が見つからないことがある。それは「自分じゃない言葉」を使って書いているからなのかもしれない。たしかに、私たちは誰かがつくった言語を使って、自分のことを表現しようとする。でも、私たちは自分じゃない言語を使っているかぎり、自分のことをうまく表現することができないのだろうか。
ポストコロニアル文学と呼ばれる、植民地支配以後の被植民者の経験が描かれた文学作品の多くは、被植民者の母語ではなく、植民者の言語で書かれている。自分の言語を奪われる経験を、あえて支配者から植えつけられた言語で書くこと。それは自分じゃない言語で自分のことについて書くという試みだといえる。
被植民者のように自分のことを他者に説明しないといけない人たちにとって、「自分の言語」はつねに疑いにかけられている。一方、私たちは誰かがつくった言語をあたかも「自分の言語」として使っている。自分の言語がどこからきたのか、疑う必要がないからだ。
自分のことがうまく表現できないのは、「自分じゃない言語」を使っているからではなく、自分の使っている言語が「自分の言語」だと信じきっているからなのかもしれない。このワークショップでは、「自分じゃない言語」で書く練習を通じ、「自分の言語」に疑いをかけてみる。自分の母語、書くときの身体、書くときに前提とされているエピステーメー、をいったん離して/外してみる。