ご報告

前提としてこの記事の内容は訃報となります。

身近の人が病気であったり、直近で大切な人を失ってしまった人にはつらい内容となりますので、そういった方は読まないほうがいいかと思います。

それでも現実を受け入れて生きていく遺族にとっては、この内容がつらいものであっても、少しでも前を向く助けになればと思います。

さて、こういったネット上で訃報の知らせをするのには違和感を覚えるけど、自分のおじいちゃんを知っている方々に直接連絡して、反応に困らせてしまう、あるいは気を使わせてしまうのは双方にとってよくないなと判断したためこのような形で報告する運びとなりました。

 上でも少し触れましたが、2023/12/6 16:50 祖父が亡くなりました。

祖父は自分にとって、父のような存在でした。両親が生まれて間もなくして離婚したため、3歳からずっと育ててくれました。枚挙に暇がないほどたくさんの思い出がある。そんな大好きなおじいちゃんを亡くして、ショックが大きかった。本当になにも力が入らないし、なにをやろうともしない廃人みたいになっていた。

2024年の1/21に四十九日が終わって、自分も少しずつだが前を向けるようになった。このタイミングで入院から亡くなるまでのことを振り返ろうと思う。

 2023/11/17(金) 昼頃、おじいちゃんは救急車で搬送された。おばあちゃんのヘルパーさんが異変に気付いて救急車を呼んでくれたそう。ヘルパーさんからその旨の連絡をもらったときは、どこかで「慣れ」ている自分がいた。というのも、おじいちゃんは貧血持ちで2023年に何度か救急車で運ばれているからだ。

しかし、結果はコロナと誤嚥性肺炎だった。ただごとではない。貧血なんてかわいいもんだ。その結果を聞いて、「最悪のパターンじゃないか」って思った。よくニュースで高齢者が発症するコロナと肺炎の合併症は致死率が高い、と耳にしていた。搬送された先の病院で医師から「延命治療の希望有無」を聞かれた。初めての経験だった。おじいちゃんが亡くなる可能性が高いということを暗に突きつけられて、ものすごくつらかった。もちろん、延命治療の希望有無を聞かれたからと言って、必ずしも亡くなる可能性が高いというわけではないし、医者側もマニュアルで聞いている。ただ、聞き方がすごく高圧的だった、ひらたく言えばうざかった。笑

あとになってわかったことだけど、搬送先の病院の口コミが最悪だった。興味ある人はgoogleの口コミ見てみて。搬送先の病院は選べるので、評判の悪い病院は避けたほうがいい。今回のような病院にあたると最悪だし、転院を申し出ても却下されるからこちら側ではやりようがない。

医師との話も終わり、おじいちゃんと話せる機会があった。そのときは、痰が詰まってしゃべることは難しそうで、咳込んでいて苦しそうだった。

「コロナ陽性のため1週間面会できません、容態が急変したらご連絡します」と言われ、おじいちゃんにコロナが落ち着いたらまたすぐ会いに来ることを告げて病院を出た。そこから1週間は全く眠れなかった。電話が来ないことを祈って、仕事も手につかず気が気でなかった。毎日病院に電話して容態を聞いて、「少し落ち着いてきてるようです」なんて言われた日にはものすごく安心した。

コロナの隔離期間が終え、面会が出来るようになった。うれしかった、急いでおばあちゃんと一緒に会いにいった。そのときのおじいちゃんはやっぱり話すことが難しかった。表情や相槌で反応するくらいだった。元気な姿をずっと見てきた自分にとっては、その現状を受け止めるのはとてもつらかった。でも、いつかはまた元気な姿に回復してもらえるように、自分なりに色々調べたり、医者や看護師に治療プランを聞いたり、知り合いの看護師に連絡してベストを尽くした。そういう風に動いていないと落ち着かなかった。それだけ、おじいちゃんの現状を受け止めたくなかったんだと思う。特に知り合いの看護師の人には精神的に助けてもらった。本当に感謝してる。

回復を願って、面会はできるときはして、在宅介護になったときの環境を整えていた。誤嚥性肺炎というのは、加齢とともに飲み込む力が衰えて、口から入れた飲み物、食べ物が肺に入って炎症を起こすという病気で、退院後は胃に直接食べ物を送る「胃ろう」になるだろうとのことだった。

しかし、在宅介護の環境を使うことはなかった。

 12/6(水)14時ごろ、病院から急に連絡があった。ドキっとした。電話に出ると、えらい高トーンの声色で「お孫様の電話でお間違いないですか?」から始まったので、「もしかして、退院か?」的なうれしいニュースかと思ったけど、看護師から変わらずの声色で続いたのは

看護師「現在、おじい様の容態が変わり、全身で呼吸をしている状態ですー。」

自分「それは危ない状態ということですよね?」

看護師「はいー。なので、今日・明日が山場かと思いますので、ご家族様に共有のほうをお願いしますー。」

すごい重たいこと言っているのに、声色が謎すぎて脳がバグった。そういうことか、口コミ、お前は正しい。

状況を飲み込んだ後は、すぐに会社から病院へ向かった。電車の中でおじいちゃんの容態を調べた。いわゆる「下顎呼吸」と呼ばれるもので、終末期に起こる呼吸方法と出てきた。早く病院に行かないとという焦る気持ちを落ち着けるために、知り合いの看護師に状態を伝えた。知り合いの看護師は、下顎呼吸をしたら亡くなるケースは高いと知っていながらも、「大丈夫だよ、私もそこから回復した人何人も見ているから」と言ってくれた。優しいよね。

そして、病院についたのが15:30ごろ。おじいちゃんの容態は、ものすごく苦しそうに全身を震わせながら呼吸をしていた。ときには、背中をのけぞり、ときには首をのけぞり必死に呼吸をしていた。そんなおじいちゃんの姿を見たとき、涙が抑えらなかった。震える体に抱きついて、耳元で今までの思い出と感謝を伝えた。

幼稚園まで自転車で送り迎えしてくれてありがとう

おやじの代わりに授業参観とか運動会のイベントに来てくれてありがとう

一緒に大学の早慶戦、文化祭とか行って楽しかったね

今年中にまた徳島行こうって言ってたよね、行くんだよ

育ててくれてありがとう

おじいちゃんは相槌も表情で反応してくれることもなくなっていた、ただただ呼吸をするのにもがき苦しんでいた。けど、涙を流していた。ちゃんと聞こえてたのかな。自分はその涙を拭きとって、ずっと手を握っていた。

看護師の人から「そろそろ看護の業務をいたしますので」ということで病室から出るように促された。病室を後にするのがものすごくつらかったけど、看護師の業務を妨げてより悪化するほうが嫌だった。

そして、病院から徒歩で帰宅する途中に病院から電話がかかってきた。「急いできてください」。無我夢中で走って病院に向かった。呼吸の乱れも感じなかった。

病院につくとおじいちゃんは息を引き取っていた。

「とうとうこの時がきたか」

そう思った。今まで経験したことのないくらいショックだった。文字通り、涙が枯れるくらいに泣いた。全身から力が抜け、歩くことも面倒だと思うくらいだった。

そのあとは、葬儀屋の案内を受けて日程を決めた。長々と説明されてもろもろ決めるのに2時間近くかかった。1週間後の12/13に葬儀を執り行うこととなった。

おばあちゃんに伝えるかどうかすごく迷った。認知症を患っていて、何度も「おじいちゃんどうしたん?」と聞かれることがつらいなという自分よがりの思いがあったが、それよりも長年付き添ってきたおじいちゃんの死を聞いて、ショックのあまり死期が早まるんじゃないかという心配だった。よく言うよね、先だった夫についていくように亡くなったみたいな話。

すごく悩んだ挙句、出した答えは真正面に事実を伝えることだった。亡くなったことを隠し通すには、葬式にも出れず最後のお見送りもできないし、「おじいちゃんどうしたん?」という問いに永遠とウソをつき続けるしかない。死期が早まるのも人間らしくていいじゃないかと思った。人間らしく、最愛の夫の最後を見送り、人間らしく余生を過ごしてほしい、そういう思いだった。

おばあちゃんに亡くなったことを告げたときは、大きな声を出して泣いていた。そんなおばあちゃんを見て伝えた俺ももちろん泣いた、「おばあちゃん、俺がいるから大丈夫、大丈夫。一緒に悲しんで最後におじいちゃん見送ってあげよう」と心もとない声で励ました。

おじいちゃんの葬式までの1週間、会社も休み毎日安置場におばあちゃんと一緒に赴いた。おばあちゃんも車いすから立って、おじいちゃんの顔を触りながら今までの感謝を伝えていた。

湯かんの儀(映画のおくりびとみたいなやつ)と通夜、告別式、火葬と終え、最近では四十九日も終わった。

ウソみたいな話なんだけど、四十九日の前夜におじいちゃんの夢を見た。夢の中では、いつも通りおばあちゃんをトイレへ連れて行っているときに、すぅーっとおじいちゃんが俺の後ろを通り過ぎた。夢の中の俺は「あれ?おじいちゃん亡くなったよな」という認識はできていた。

そして、おばあちゃんのトイレが終わり、おじいちゃんがいるリビングへ戻るとおじいちゃんが話しかけてきた。

「おばあは大丈夫か?迷惑かけてないか?」

おじいちゃんはいつも自分のことより他人のことを優先する人で、らしい質問するなと思った。夢の中で俺は

「ごはんも洗濯もトイレも大丈夫だし、外出する時も寒くないように服を着せてる、髪も長くなったら切ってもらうよ」

↑みたいなこと(夢だからおぼろげ)を泣きながら言っていた。すると、おじいちゃんは

「あぁー、けんぴに任せといたらほんまに安心やわぁー。お願いします。」

とほっとした笑顔で言っていた。俺はすぐに目が覚めた、夢の中だけではなく現実でも涙が出ていた。こんなことってあるんだって思った。短い間の夢だったけど、今でも鮮明に覚えている。

おじいちゃんの一番好きな人、おばあちゃんはこれからも大切にしていくよ。

振り返る中でやっぱり思い出して悲しいけど、思い出すことに意味があるなということを言い聞かせている。そして、今回の経験を経て、自分の環境や友達には改めて感謝している。本当に恵まれたと思ってます。

遊びに誘ってくれる友達、話を聞いてくれる友達、なにをするでもなく一緒にいてくれる友達、ふいに電話・メッセージをくれる友達・中学時代の顧問の先生・知り合いの看護師さん

そういった人たちに囲まれて自分は前を向けていると思ってます。本当にありがとう。