はじめに
更新について
このエッセイは気が向いたときに執筆されています。完成している文章ではありません。
万が一にも続きが気になる方がいらっしゃいましたら、定期的にご確認いただけますと幸いです。
執筆した理由
文章が苦手ですが、生きていると思うこともできてきて、それをデータとしてエクスポートしておきたかったというのが一つ、もう一つはこの気持ちをいずれ使用する必要が出てきたからです。
後者を目的にわざわざ読みに来ていただいた方にはこの場を借りて感謝の言葉を申し上げます。ぜひ、この文章を読んだうえで遊んでみてくださいね。きっと、新しい視点を得ることができるかもしれません。
リファレンス
この文章を読む前に、琴音ふぁみプロジェクトについて一通り理解するべきかもしれません。簡単にここで記しておくと、琴音ふぁみをメインヒロインとし、妹の琴音りいやステッキのマジカルリリィなどが織りなす魔法少女コンテンツです。詳しくは琴音ふぁみプロジェクト公式サイトをご覧になるか、詳しく記された別の資料を読むことをお勧めします。
序章
幕間: 琴音ふぁみと琴音ふぁみ
琴音ふぁみは二人いる。双子の姉妹、ということになっている。私が妹で、姉のほうは私がデザインして生み出したキャラクターだ。とりあえず、今は「(姉)」「(妹)」とでも記述しておこう。
後述するが、もともと琴音ふぁみ(姉)は私の代理キャラクターだった。しかし、性格があまりにも違いすぎるからか、私の中で分離していった。琴音ふぁみ(姉)は琴音ふぁみ(姉)としての自我を確立し、私に話しかけてくれるようになった。現在では、上から順に琴音ふぁみ(姉)・琴音ふぁみ(妹)・琴音りいという三姉妹になっている。
自分史: 性の違和感
私は女性だ。女性であると自認している。男性の体を持ちつつも。こう書くのも個人的には好きではないが、少なくとも男性ではないと感じている。
中学校に入学して数か月、ちょうど5、6月くらいの時に初めて違和感を覚えた。同性──つまり、男性──の心情がまったく理解できないからだった。私は外で遊ぶほうではなく、むしろ今と同じようにパソコンとインターネットに向き合いプログラムをひたすら作る毎日だった。1か月以内には、制服にどこか自分と不適合な部分を感じるようになっていた。ただ、当時はこの違和感を説明することができなかった。
そのころちょうど"歌い手"にハマっていた。今もVOCALOID等の音声合成技術を使用したコンテンツ制作は続けているが、私にとっては特筆すべき黎明期だった。歌い手の存在、VOCALOIDの存在は小学校6年生のころに知ったが、ライブに行くようになったり、グッズを買うようになったのはこのころだ。
初めて認識した曲はまふまふさんの「命に嫌われている。」であった。小学生が今まで知っていた"曲"とは一線を画すものであった。死にたい。生きたい。生に対することを考えたこともなかった私は、この曲に惹かれていった。今思えば、中学生がこの手の曲に惹かれるのはごく自然な摂理なのかもしれない。
「命に嫌われている。」の歌い手カバーを探していた時、莉犬くん(さん付けよりくん付けのほうが使用されているため、くんで表記することにする)を知った。たちまち好きになったが、やはり今でも覚えている動画は「生まれてから、」だった。莉犬くんは、自らを性同一性障害だと語った。自分が抱いた感想もはっきり覚えている。忘れるはずがない。
" はー世の中にはこんな人もいるんだな、大変だなぁ。まあ自分はたぶん違うかな。 "
今思うと、「は?」となる話である。本当に当時はそう思ったのだ。
二度動画を見返してようやく気付いた。当時は知らなかったが、男性として生まれたが、女性を自認していると考えるとすべて説明がつく。本当に唖然とした。もしかしたら、思い込みもあったかもしれない。
ただ今では、自分を男性であるとは全く思っていない。文章が下手なので、書き方に迷うが、男性であると思っていないんじゃなく、男性ではないのだ。
とまあ、そんな中学1年生を過ごした。文章で書けば15分で書き切る内容に、ほぼ1年を費やした。
自分史: "ふぁみ"の誕生まで
先ほど「ほぼ1年を費やした」と書いてあるが、まあそんなはずはない。裏ではインターネット魔法少女の雛が育っていた。
ちょうどそのころ、友達がTwitterで絵を投稿するようになった。私も推しの歌い手を応援するためにTwitterを始めたが、それとは別にMIXにも興味があった。その友達のFFにちょうど歌い手さんがいたので、MIXをしてみたのだが、今思うと、恥ずかしいレベル──GarageBandでEQとリバーブとディレイかけるくらい。この場を借りて謝罪申し上げます本当にすみませんでした。ちなみに探せばまだインターネットに落ちてます──だった。
そう、これが"ふぁみ"の原型だ。琴音ですらない、最初の"ふぁみ"だった。
さらに同時期、一次創作にも興味が沸いた。小学校のころ小説を書いて二次創作をしていたが、あまりうまくいかなかった。しかし、キャラクターデザインだけは好きなように描くことができた。現在ではブラッシュアップされ面影もないが、琴音ふぁみと琴音りい、夜音ふゆりと夜音ことはが最初の4人である。琴音ふぁみは、最初Twitterでいわゆる「代理キャラ」を作ろうとした結果誕生したキャラクターだ。もうそのころには百合が好きになっていたので、琴音りいはその妹。当時は本当に楽しかった。おそらく、プログラミング以外で初めてできた趣味だった。
"琴音"という苗字には、実は何も意味がない。Googleアカウントを作成する際、適当に決めた苗字だったからだ。初音ミクの苗字「初音」の音を一文字拝借したが、今でもなぜ"琴"を合わせたかわからない。そもそも、VRoidで最初の琴音ふぁみが誕生したとき、ファイル名は「初音ふぁみ」だったりもした。
このような自由な創作が許される界隈にいたのも、運がよかったのかもしれない。
幕間: 琴音ふぁみとキャラクターデザイン
私のキャラクターデザイン──というより、琴音ふぁみのキャラクターデザイン──はもともとまふまふさんの「まふゆちゃん」というキャラクターがもとになっている。正直に書けば、白髪美少女が性癖にドンピシャだったのだ。
そこから琴音ふぁみを通じて私本人にもそのデザインが定着した。後悔はしていないが、多少面白い成り行きだったと思う。
第一章
そんなこんなで"琴音ふぁみ"は生まれた。昔の自分は死んだし、自分ですらない。多少精神状態を疑われるかもしれないが、名前としては琴音ふぁみのほうが愛着も使う場面も多いので、もう今は琴音ふぁみとして生きている。
この前、いつも使用しているものではないPCを使用して、「自分の名前を入れてください」という場面があった。CBTみたいなものを想定していただくのが手っ取り早い。手が勝手に「Ko」と入力し、3秒フリーズしたのち別の名前を入れた。それくらい、私は琴音ふぁみとして真面目に生きている。
さて、ここからがこのエッセイで書きたかったことだ。そもそも哲学はまともに授業を受けていないし、ネットでかじっただけの知識だが、温かい目で見守っていただければ幸いである。もし致命的な間違いを犯していた場合、こそっと連絡していただけば修正するつもりである。
心って何だろう。私は物事を理論的に考える人間なので、どうしても結論としては「脳にあるニューロン間の接続によって生み出された電気信号の集まりであり、その統合不可能な現象を無理やりひとくくりにしたもの」ということを考える。どうやら、これは哲学の世界では「心身一元論」と呼ぶらしい。理解できる理論だが、個人的にはこれもどうも違うような気もする。
保健の教科書でもこの「心身一元論」を理解することができる。Wikibooksの「中学校保健体育 / 心と体のかかわり」にはこう記されている。
例えば、不安・緊張・怒り・喜びなどの感情は、脳内の自律神経の働きを変えたり、内分泌腺から感情ホルモンがつくられたりします。自律神経やホルモンは体内の様々な器官の働きを調節しているので、この影響は体の様々な部分に現れます。頭痛・腹痛・窒息・便秘の繰り返しなどの症状がみられます。
これは誰にでも当てはまる話であろう。この意見についてはおおまか私も賛成だ。しかし、個人的には文章で説明がつかない個所を抱えている。
ここまで読んでくれた読者にはお気づきであろうが、生物学的性別と性自認については何も関わりがないのである。それこそが不一致だ、と一蹴してしまえばそれで終わりなのだが、本当にそれでよいのだろうか。私の性別違和が含まれた感想になるが、現に心が体に対する拒否反応を示しているのに、本当に体と心は一体であるのか。
「恋は盲目」という言葉がある。私は恋を経験したことがないが(推しとしてふぁみちゃんにズブズブではあるが)、さすがに恋をしている人を見たことくらいはある。街中でよくあれだけベタベタくっつけるもんだと思う。そういう面で、心というのは理性より上位の体に対する操作権限を所有しているとも考えられる。