(水) 仕事が朝からバタバタ&この日初めてやる作業があって終始ドキドキだった。問題なく終わってほっとする。研修を終えてフルリモートになってからは月1~2の頻度でコワーキングスペースにこもって仕事するようにしてるんだけど、これが地味に効果的な気分転換になっていて、度々助けられてるのを実感します。いい加減コーヒー飲める大人になりたいと思ってマシンを見掛けたりマックに寄る度にホットコーヒーを用意するんだけど、いつになっても苦いともまずいともハッキリ思えず、なんか無だな…となってしまうのでこれもうわたしの味覚が終わってる説が濃厚だな。。薄らぼんやりとした意識。今年こそコーヒーと協定を結びたい。
休憩時間は近くの本屋へ。先週末近場の書店で見つけられなかった本の在庫があると知って、母に頼まれたハードカバー本と共に購入。直後にぱらぱらとしか読めてないけど期待通り色んな食と空間と会話のはなしが詰まっててかなりおもしろい、ので2月の月報(?)に感想を書けるよう仕事の合間合間で読む目論見でいる。この前自分と似たような働き方をしてる友だちにどうやって集中力を保ってるか聞いてみたら、え、全然私1時間ごとにベッドで寝てるよ、だって上司も煙草休憩でしょっちゅう消えるんだもんとか言っててなんか一気に気が抜けた、そういう明け透けさが好きだ。煙草休憩とかいう単語懐かしすぎる。バイト時代以来に聞いたなーー確かにあれなんなんだ?ってずっと思ってたしそう言うわたしはまあまあ毒づく側の人間でしたね。それ採用。ちょっとずつ読み進めることをモチベに日々がんばっていこう。
Subtitleの話をいつかしようと思って永遠に書きそびれてたからここで少しすると、まあまずこの選曲ふわさんの仕業なのかよっていうバカでかい衝撃と、どういう経緯があっての譜割りなのかは知りませんが、〈正しさよりも優しさが欲しい そしてそれを受け取れるのはイルミネーションみたいな不特定多数じゃなくてただ1人君であってほしい〉に関しては…ここからは完全にわたし個人の受け取り方の話になるから間に受けないで欲しいんですけど、素直に読み取るならホスト業のふわさんが歌いそうなところを明那が歌うのは、分かりやすいシナジーを勝るほどにこの歌詞は明那が歌うことに拘りたかったのかな、みたいなそういう都合の良いことを考えてしまう。ふわぐさという便宜上の名前がつくずっと前から2人の間には優しい時間(木曜劇場?)がずっと流れていて、一見仲のいい人たちがでっかい声でバカやってるように見えて、って書こうとしたけど別にこの人たちそんなに大衆向けの活動してなかったな。笑 まあ表層的なところだけ見ると歌声の相性がいい絆のコンビで、もちろんそれだって間違いないんだけど、個人間でこういう優しい感情の受け渡しを何年も何年もやってるのが本当にすごいんですよってことを伝えたい。誰に。分かんないけど、とにかくSubtitleはラブソングとしての意味合いで取ってすごいことやってんなこいつら…とかそういうんじゃなくて、マジでこの曲が持つ切実な優しさをティファニーがああだこうだのやり取りを踏まえてから歌うことで本人たちも少なからず自覚させられちゃってんじゃんとか、今後どんなイメソンを宛がっても越えられないじゃんみたいな行き止まりの感情を与えてくるのがすごいんです。
Subtitleと歌唱前の数分が2024年のわたしの中でどれだけデカい出来事だったか、それを訴えようとすればするほど動画内で繊細に受け渡されたやさしさに指紋がついてしまいそうで、どうすることもできなかった当時。忘れっぽいわたしはとっくにそんなことなど頭のどこかへと放って生活をしていて。そんな中訪れたとあるタイミング、たまたま全く関係のない場所でSubtitleを延々聴く機会があり。そうして曲の知名度からは想像もつかないほどトリッキーな髭男特有の譜割りとにらめっこしてる最中、天啓のようにぱっと降りてきたのが、ライブで二人が歌った音源を使えばいいんじゃない?というひらめきだった。言うて普段から練習会をする時にはネット音楽を引っ張ってきて自分のやりたいようにやって周囲に付き合わせてることが多いけど、さすがにどこの誰かもわからない歌みたを無関係な人たちの前で流す訳にいかないなと思って、でも高校時代の恩師が自分の大好きな歌い手(AtR)の音源を使って作品作ってたのすごいたのしそうだったなーーとか色々考えて、しばらく悶々としていたらそれらの条件がばっちりハマる存在がいることにふと気付き。ダメ元で声を掛けてみたらするっと快諾してもらえて(神)、まずその時点でめちゃくちゃにうれしかったな。。(TT) 自分で言うのもなんですけど、思えば思うほどにこれって文脈なので。うん、自分で言うことじゃねえ。
自分の言葉が不特定多数に届いてほしいと思ってたのはそれこそインターネットを始めたての中学生の頃だけで、それからすぐにFC2やはてブのバズっていない(ここ重要)身内同士で繋がってお互いの文章を読み合う、みたいな穏やかで閉鎖的な空間に憧れを持つようになって、でも当時のわたしはまだ年が若すぎてそんな既定のコミュニティに入っていけるような器量もなければ文才もなくて、いや別に今も書く力は壊滅的なんだけど、画面の前でなにもできずただ読者としてそのうらやましいばかりのやり取りを眺めるだけに留まってたんですね。そんなある日、好きだったあるひとりの二宮担のブロガーが「偶然見つけた彼のBlogから 知らない街の誰かの笑い声」という部分が好き、と書いているのを見て、ああそれだ、わたしが人のブログをいくつもパソコンのブックマークバーに登録してるのはそれが好きだからだ、顔も住まいも知らない誰かがどこかで確かに生きていてままならなかったり悩んだりを繰り返しながらゆっくり日常を進めている足跡を辿るのが何よりも好きで、周囲にうまく心を開けないひねくれた自分の唯一の安心材料だったからだ、ってこれまで抱いてたブログ文化への憧れとか心地よく感じている理由をスパーンと言い当てられたように感じて。ゆえにわたしは自分のペースで思ったことを、書ける範囲ですべて書いて、何度も口を酸っぱくして言うように届く人にだけ届いたらいいなと思ってぽこぽこキーボードを叩いてるんです。そして今に至る。
だから、人と初めてLIFEの話を対面で出来たのが本当にうれしかった。頭から完全に抜けてたけど、教えてくれたことで上記のあれそれを思い出せたので本当に感謝です。繋がってから数年越しに面会したフォロワーとは短い時間ながらもたくさん話したし(あれからめっちゃJO1聴いてます)(←?)、わたしはわたしで相手のブログを人知れずめちゃくちゃ読んでいたから会ったらまずそのことを伝えたいと思って、その意思が強すぎてまた話すテンションがバグってたけど。笑 ここで書くことを前もって伝えてるから一つ恐れずに言うと、この日仕事終わりにも関わらずスタジオに駆けつけてくれて、一緒に踊ってくれたフォロワー(神)は三枝明那のリスナーで。うん。なんかまずその時点でアホほどうれしかったんだよね。またその話かよってくらいふわさんの話ばっかして完全にふわさんに情を移した状態でふわぐさについてああだこうだ言ってる文章を、大好きなふわさんを語る上でなくしてはならない存在を一番に好きでいる人に読んでもらえてるっていう事実こそが。。(TT) 大前提わたしはフォロワーが三枝さんに宛てて書いている文章の数々が数年前からほんとーーーーーーーーーーに好きで、傍目から見ていて三枝さんとその人の間にある関係のことも好きだな、尊いなと思ってたからマジでなんかもうほんといいんですか???って知り合ってからも今日の予定が決まってからも内心ずっと喜んでたのはここだけの話。わたしがふわさんを見ている時間分あきなを見てるんですよ、なんかもうその事前情報が良すぎるよね、全然意味合い違うの分かってるけど感想放送で俺らの手札組み合わせたくね!?って興奮気味に言ってた明那の気持ちが少しだけわかるもんな。。などというやつ、直接ぶつけるにはものすごくヘビーだなと我ながら思うので、こういうひとつ空間を媒介した気持ちの置き場があって本当によかった。これ、あたしの本当の気持ち。(by委)
時間がパチパチだったから意外と落ち着いてふたりの歌声に浸ったりできなかったの普通に笑った。笑 趣きとかエモとかを軽率に吹き飛ばしちゃいがちなわたしのドタバタ人間っぷりがよう出とる。っていうのはね、後から実感が湧いてくるもんだから別にその場がどうなっても構わないんだけどね、間違いなく良い時間だったし思い出に残ることが何よりも尊いので。でも、いざ大好きで思い入れの極みみたいな人たちの、丁寧で丁重な時間を切り取った音源を使った時の、なんの違和感もなく踊っている自分とスタジオに流れる歌声が溶け込んでいく感覚、浸透感っていうのかな、なじみ方が尋常じゃなくて今これすごい良い空間にいるな~~っていう体感がものすごかった。成分のめっちゃ良い化粧水を使ってる感じ、とか言ったら伝わるんだろうか…。聴き慣れた、好きな音楽で踊るってマジすごい、これ絶対いっぱいやるべきだってまたひとつ楽しい遊びを覚えてしまったのだった。
大好きで大事でこれまで何万字書いたかわからない関係性を大切にする手段が新たに見つかってうれしかった。それをわたしとは違う角度で見ている人と実現できたこと、わたしの言葉をわたし以上に憶えていてくれる人と共有できたこと、ほんとにほんとに「届く人にだけ届けばいい」の最たるだと感じるし、あとは何より日頃口に出してにじの話をすることがほとんどないわたしが似た波長で安心してジャンルの話をできた、っていうのがシンプルに楽しかったです。笑 ほら、普段にじの話を身近な人とする時って視聴範囲が重なり合ってないのを理解してて、こんだけふわぐさに心乱されてることとか本作ろうとかやばいこと考えてるなんて知り合いの誰ひとりとして知り得ないことだから。。www そういうのも込みで、好きなものと生活の話をネットに書き続けて本当によかったと思う。あの時欲していたもの、狭い範疇で届いていたらいいなって想い、どちらもちゃんと満たされてるよ。拓け過ぎていない場所へと確実に接続してる。そしてこれは完全に余談なんですけど、初めてお目にかかった枝のぱぺがめちゃくちゃにかわいかったことを併せて書いておきます。あきなを特別に好きでいる人の所有するぱぺ、わたしがいつか気まぐれに揃えたくなって手に入れるよりもずっとずっと価値があると思う、なんて最高なんだ。。。(TT) 以上、今書き出せる分の長々とした感情でした。たのしかったな〜〜