自分の中のネガティブバイアスを乗り越えた話

はのめぐみ
·

私はずっと「シニアデザイナー」という等級に引っ張られてきた。頭のどこかで常に成長差分を作らなければと思って過ごしていた気がする。

昨年の10月末に体調不良で休職して、4月末付で今の会社を退職した。休職する前から休みがちで、なかなか自分が思うように仕事ができないのが本当にもどかしくて辛かった。それまで当たり前にできていたことがどんどん出来なくなった。好きなピアノも弾けなくなった。ただぼーっと YouTube を見て過ごしたり、スプラトゥーンをして気を紛らせていた。

4月に入って、ようやく次の環境探しができる状態にまで体調が回復した。転職活動のテーマを考える過程で「シニアとしてやりきれていない、等級に引っ張られ過ぎていて自分は仕事を楽しめていなかったのではないか」と思うようになった。

最近、ある人と「やりきれていない話」をする機会があった。とてもまとまりのない言葉で話してしまい、途中で自分が何を言ってるのか分からなくなってしまった。

私の拙い話を理解しようと、相手はこんな問いかけをしてくれた。

「やりきれていない理由として、外部要因と内部要因的なものってありますか?」

ざっくり言うと外部要因は周囲の環境や出来事で、内部要因は私自身の話だ。これまでの過去を振り返りながら、出来事ベースで話していった。

この会話のおかげで、とても重大なことに気づいた。私は自分の中で「ファクト(事実)とオピニオン(意見)の切り分け」が出来ていなかった。「やりきれていない」というネガティブかつ漠然とした認識だけが肥大化して独り歩きしてしまい、自分の中で「事実」になっていた。

「シニアとしてやりきれていない」という認識を一旦脇に置いて、もう一度ファクトベースで振り返ってみた。その時にどんな状況でどんな課題があり、それに対して自分が何をしたのか。自分の行動に対してどう評価されたのか。同僚からどんな言葉をもらったのか。

思い出せる限り Notion に書き連ねて整理するうちに、自分の中で結論が出た。決して「やりきれていない」わけではなかった。100点ではなかったとしても、その時の自分が最良だと思ったことをやっていた。1番最近の評価面談では「シニアとしての意識もよかった」と言われたこともある。「やりきれていない」部分があるとするなら、たまたま機会に恵まれなかったとか、体調とか、自分の行動や努力が及ばない別の理由だった。

同時に「やりきれていない」と考えるに至った本当の要因もわかった。それはシニアという等級起点や成長差分の話ではなく、「デザイナーとしてやりたいけどできていないこと」で、「次の環境でやりたいこと」に変わった。自分の中でごちゃごちゃして言語化できていなかったものが、やっと整理できた。

人はポジティブなことよりも、ネガティブなことに意識を向けやすく、記憶にも残りやすい。私はネガティブバイアスが特にかかりやすい性格で、自分で自分を追い詰める傾向にある。様々な出来事を経験していくうちに、いつの間にか「やりきれていない呪い」にかかってしまっていたようだ。

この呪いはやっかいで、自分がペテンを働いている気持ちにさせることがあった。いわゆるインポスター症候群のような感覚だと思う。カジュアル面談の声がけをいただく度に、いつも不安と緊張が襲った。なんで自分なんかに声がかかるんだろうか、自分は全然大したことないのに、相手は過大評価しているのではないか。そもそもちゃんと受け答えできるのだろうか。。と。

それは自分への自信のなさから来るものだった。自分に自信がないのは、自分を認めていないからだ。ネガティブバイアスが邪魔してしまい、自分がやってきたこと、よかったことがいつの間にかなかったことにされていた。自分の頭で考えて行動してきたことは、自分が1番認めてあげないとどんどん苦しくなってしまう。もちろん反省点はあるかもしれないが、それは次に活かせばいい。事実として、私は行動していた。それで十分だ。

「やりきれていない理由として、外部要因と内部要因的なものってありますか?」

この問いかけは、自分の中のネガティブバイアスを乗り越えるきっかけになった。やっと自分を認めることができて、気持ちが楽になった。

いつかどこかで、ある人にお礼を言えたらいいな。

@featherplain
犬とスプラトゥーンと音楽が好きなデザイナーです。 X : @featherplain