アイドルがなんたるかを知らなかった私がジュニアというさらにディープな世界に足を踏み入れるきっかけになったのはコロナ禍で開催された配信ライブ【DREAM ISLAND】だった。
7月28日にJohnnys Webで大倉くんが「チーム関西の日」って書いた、語呂も縁起も良い日に開催されたライブで私のなかでジュニアという存在がピタリとハマった。チーム関西が横一列に並んでコロナ禍の閉塞感を大阪から明るくしてくれたドリアイは私の応援ライフにおいて一つのポイントになった。
すべてにおいて初心者だった当時の私にとってジュニアはMステやライブでバックダンサーを務める小さい子たちにすぎなかった。前に母がデビュー直前のなにわ男子を見ながら「あら、関ジャニ∞の小さいの」って言っていたけれど、たぶんこれが世間一般のジュニアの認識なんだと思う。
だけどジュニアの物語を辿り始めると目に映る子たちは大きなセンターステージに立つアイドルの後ろにいる盛り立て役から、大きな夢のスタート地点に立とうと切磋琢磨する子たちに変わる。
自身も関西出身、かつeighterということもあって真っ先に惹かれたのは関ジュだった。惹かれた、というか繋がりがあるから自然と目が行ってしまったというのが的確かもしれない。
そして最初の緊急事態宣言で鬱屈な日々に心折れそうだった時、目に止まった動画のせいで私はジュニアを応援するということに自ら踏み込んでいくことになった。それは関西ジュニアの曲「空言オーケストラ」の落ちサビ。
《結局僕らは夢を追いかけた》
このフレーズを歌う声に心を掴まれたのだった。
ギリギリのところで夢を追いかける強い気持ちと些細なことで折れてしまいそうな弱い気持ちがひしひしと伝わってくるこの曲。落ちサビは、入ってしまったヒビから今にも粉々になってしまいそうな繊細な声の震えを感じたのを覚えてる。声は空気が振動して伝わるというけど、本当に「揺れて」いたように感じた。
そのときこのフレーズを歌っていたのはAぇ! groupの正門良規だった。
気持ちを寄せ、時の流れを共にする応援という形のラブレターほど尊いものはない。ジュニアを応援するということは、夢が叶う瞬間まで挫折の瞬間も、不遇の時間も、ヤキモキするような事も、小さな喜びも、いろんな感情を共にすることなんだと思う。
今関西ジャニーズJrに所属している全員がもれなく10年後もこの場にいるとは限らない。
だから私はいつも思う。
あの場所で過ごした時や普通の学生生活だったら見ることのできなかった景色が彼らにとって光る宝物になりますように、と。
手放した夢も。
掴んだ夢も。
それを共にできる幸せをこれを書きながら噛み締めている。