2022年の国際カミングアウトデーに関する、ある企業アカウントの投稿について

ffi
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公開:2024/10/13

Twilogを見ていて、ちょうど2年前の国際カミングアウトデーに関連して、わたしが少し長く書いていたことに気づきました。すっかり忘れていたし、もうXアカウントは鍵を掛けていてアクセスが難しいので、記録のためにもこちらに転載しておくことにしました。

花王のTwitterアカウントが国際カミングアウトデーの文脈を理解せずに「ちょっとした秘密を打ち明ける」という解釈でツイートをし、派生して大きな騒ぎになった、という事象についての連投です。


花王のツイート、あまりに不用意で愚かだったけど、問題となったツイートを残してあることは評価するべきだろうな。

「おっ、今日は国際カミングアウトデーという日なのか。ツイートのネタに使えるなー」と思うところまでは普通に起きることだけど、ハッシュタグを付けたときに「このタグでほかにどんなツイートあるのかな」と気にするべきだし、そこで気付くべきよね。

「ツイートがきっかけで、国際カミングアウトデー本来の意味を知ることができたので結果的によかった」みたいな意見はもっと愚かで、お前はあらゆる悲劇の犠牲者に対しても同じことを言えるのかと思う。

「こんなツイートくらいで目くじらを立てなくても」という人はきっと多く、そこから「マイノリティは主張がうるさい」といった短絡化や差別が起きていくので、そうじゃねえだろとちゃんと騒ぎ立てなくてはいかんのよね。

「ディズニーのアカウントが8月9日に『なんでもない日おめでとう』とツイートしたケース」を参照しやすいと思う。

2015年だから知らない人や覚えてない人ももう多いのかもしれないな。

単に知識がなかっただけで、悪意はなかった。それはそうなのだけど、悪意がなかったからといって見逃してよいわけではない。アメリカをルーツにもつ大企業が8月9日を「なんでもない日」と日本語で言うことは、他意がなくてもダメじゃんとわかりやすい。

ほとんどの日本人にとって12月8日は「なんでもない日」だし、9月11日も「なんでもない日」だろう。一般人が日本語でその感覚を表明することも、別にさほど問題はないだろう。しかしもし英語で大々的に発信したらめちゃくちゃ怒られるだろうことは想像がつく。

同じように、ほとんどの人(マイノリティではなく多数派として生きられている人)たちにとって、「カミングアウト」という言葉はせいぜい「告白」という意味でしかない。国際カミングアウトデーもちょっとした記念日だろう。その感覚は別に悪いことじゃないんだよ。そんな言葉狩りをしてるんじゃない。

つまり「自分にとっては無意味であっても、他人にとっては重要で切実なもの」をどう扱うのかということと、「企業や組織がハッシュタグをつけてSNSに投稿することは、個人が心のなかで感じている状況とは区別して整理するべき」ということ。

わたしは怒っている。理由は3つあり、愚かで無知で不用意であることと、自らの発信力の高さを活かしていないことと、健全な言説空間を壊す方向への働きかけを行ってしまったこと。

これは半分くらいは私怨みたいなもので、つまり、わたしが心掛けようとしていることの逆をことごとく踏んでいるので。

ただの市民だって世界を多少なりともよくする方向に貢献したいと思いながら活動してるのに、発信力のポテンシャル高い企業広報が不勉強で粗雑な冗談によって世界を悪い方向へ加速させてんじゃねーよふざけんな、と思っているわけですね。

その後の反響がNHKニュースになっていました。

@ffi
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