価値観の獲得

ffi
·

紅白歌合戦でいくつもダンスを観た。キレのあるダンス。カッコいい。自分もやってみたいと思う。

歌舞伎のテレビ中継を観た。舞踊がメインの見せ場となる「京鹿子娘道成寺」。美しい。客席からではわからなかった細かい所作や音曲との同期。いいなあと思う。

どちらも音楽に合わせた身体表現である。しかし、歌舞伎をそのまま見て楽しめる人はそれほど多くないだろう。アイドルグループのやるダンスだって、なんとなく理解しているつもりではいるが、ほんとうに魅力をちゃんと理解しているのかどうかはわからない。

たとえば、一糸乱れぬコンビネーションは美しく感動するけれど、何度か練習すれば合わせられる意外と簡単な作業なのかもしれない。何気なくやっているように見える動作のほうが難易度が高かったりして。そもそも「難しいことをやっている」から「すごい」のかどうかもわからない。フィギュアスケートの演技はたくさんジャンプしなくても感動するのかもしれない。

これはたぶん美学の領域の話題なので、美学の勉強をしてから考えた方が早いかもしれない。

「これを美とする」という定義がなんらかの方法で共有されているのか。それは学習によって獲得されるのか。これってアンコンシャス・バイアスの話と接続するのか。価値観の形成と平等。

今日はそんなことを考えていました。

@ffi
コーヒー、生活、インターネット