毎週水曜日にニュースレターを発行していた。毎日の食事や生活のことを整理した日記のようなものと、いくつかの短い文章を書いて、週に一度配信していた。今回からすこし内容を変えてみようと思っていた。
それが、このような状況だ。
2011年3月、わたしは茨城県つくば市にいた。ものすごく大変というわけではなかったけれど、それなりに大変だった。それどころではないことが他の場所でいくつも起きていたから、粛々と立て直していくだけだった。
妹夫婦とその子どもたちが、いま新潟市に住んでいる。乳幼児が住む部屋だから、もともと倒れやすい家具などは置かれていないらしい。水道が止まってしまい、哺乳瓶の消毒などで水を使うから困るという話を聞いたけれど、そのほかには大きな問題は起きていないそうだ。
だから、というわけでもない。
いま何かを書くことは、簡単ではないなと思う。決まっていた仕事のための文章は書く。書ける。それが仕事だから。それをしなければ止まってしまうから。仕事ではない文章を書こうとすれば、こんなふうにとりとめのないものになってしまう。これをニュースレターとして配信するのは、いくら購読者がごくわずかだとしても、ためらわれる。それは違っている、と感じる。
わたしは立ち上げなくてはならない。あたらしい年を。あたらしい日を。日々を。仕事をする。食事をつくり、食べる。本を読み、テレビを見て、SNSに投稿する。日常を進めていく。
日常を進めていくことは大切だが、それだけでは、あたらしい年は立ち上がらない。わたしは突然の切断にとまどっている。中断されてしまった新年を取り戻さなくてはならない。そのための儀式の一つとして、いま、これを書いている。あけましておめでとうございますと、いまは言えない。いまは言えないということを、書く。このように。そして少しずつ取り戻していく。
日付の区切り、年の区切りには、ほんとうは意味はない。人が決めた区切りが回ってくるのが、ちょうどこのタイミングだっただけのことだ。それでもわたしたちには、これが必要だ。
どうか、今年がよい年になっていきますように。よいことも悪いこともあるだろうけれど、前を向いていられる年になりますように。