近藤聡乃のマンガ『A子さんの恋人』を読み直した。こういうものを書けたらいいなと思う。
デビュー作の結末に納得がいかず描き直そうとするマンガ家のA子。ずっと同じアパートに住んでいるA太郎。大江健三郎の翻訳に苦戦しているニューヨークに住むA君。この3人の三角関係のような恋愛によって物語は一応駆動しているけれど、もうひと回りおおきなものがこのマンガを覆っている。
美術を学び、それを仕事にすること。あるいは仕事にせずに生きていくこと。かつて交わした会話をずっと覚えていること。気がついたらすべてを終わらせてしまうような言動をすること。自分が何を好きなのか意識すること。そういうものたちが重なって人生がある。
最終話で、U子ではなく夕子が力強く語る「うまく泳げなくたって 私はかわいそうだったことなんかない」という言葉で、わたしは泣いてしまっていた。わたしたちは自分の人生を生きている。周りの人よりもうまく泳げなかったとしても、うまく泳ぐことだけがすべてではないのだとわたしたちは知っている。知っているはずなのだけど、輝くものの近くにいると忘れてしまったりする。
『A子さんの恋人』の登場人物たちは、優柔不断だったり身勝手だったり言葉が足りなかったり利己的だったりする。なんだかみんな少しずつ嫌なところが目についたりして、そういうところが人間らしいような、でもやっぱり好きになれないなような、つまり、わたしたちそのもので、だからそんなわたしたちが一生懸命に考えて悩んで逃げて追いかけられて決断する姿を見るのは、希望だ。希望だし、これは愛なのだなと思う。