思い出さなくてもいい(3月11日によせて)

ffi
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あの震災から13年が経ったという。

テレビの特集番組を見かけたりしたときにちょっと意識をよぎる程度で、今年はほとんどあの日のことを思い出さなかった。カレンダーの予定を見ても、スーパーの棚で賞味期限を見ても、3月11日は他の日と同じように、ただの日付として認識されていた。

昨年はどうだっただろう。たとえば5年前や7年前であれば、2月末ごろから何かにつけて思い出していたはずだ。今年の3月はそうではなかった。

能登の震災が起こって、それがまだずっと続いているし、わたしはそのことをまだ受け止められていない。ほんの70日ほど前に起きたことを、わたしはあまり思い出さなくなってきている。わたしたちは。

13年前のあの震災のときにわたしの近くで起きていたことを、わたしは70日ほど前に強く思い出した。何年もかかって開け閉めの制御がしやすくなっていた蓋が、急に一気に開いてしまって、ひとまず強く閉めた。だから今日はその蓋は開かない。開けない。

思い出すことや忘れないことは大切だ。損なわれたり失われたりしたものに祈ることも大切だ。それは間違いなく大切なことで、でも、そのタイミングは強いられて決めなくてもいいはずだと思う。

「その日」を特別にしなくてもいい。自分のできるペースで、思い出したらいい。そうでないときには、無理に思い出さなくてもいい。できるときに、できることをする。それを続けていく。

@ffi
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