Xのアカウントはもう削除してしまってもいいかなと思っていた。Twitterが以前のような場所に戻ることはないのだろうし、わたしが戻ることもない。
アカウントを削除するのはやはりためらわれる。希少な3文字アカウントだから、すぐになにかによって置き換えられてしまうのかもしれない。それはあまりよろしくない。ひとまず鍵をかけておく。公開状態の最後のポストをTwilogに読み込ませてから非公開にする。
10年以上もいっしょに日々を過ごしてきた人たちの多くはまだあの場所にいる。Xへのアクセスをやめられない理由を彼ら・彼女らに求めてしまっているような気がして、それもなんとなく嫌だった。鍵アカウントのフォローも少しずつ外している。縁があったらまた会えるだろう。それに、最近Blueskyで出会った人たちや、これからどこかで出会う人たちと、次の10年を過ごせるのかもしれない。
もう40歳になろうとしているわたしには、出会いの喜びよりも別れの寂しさのほうが響いてしまうけれど。