フィクションを書きたいと思っている。
数か月前に友人から「書きましょう」と言われて背中を押されたところもある。書きたい。書いた方がいいとも思っている。というわけで小説を書こうとして、あらすじやキャラクターや設定を考えたりした。ChatGPTのおかげもあって具体的な展開もできてきた気がするけど、いざ書くとなるとわからない。止まってしまう。少し書いてみたものの、続きをどう書いたらいいのかわからない。なんなんだろう。サイドブレーキを思い切り引いていると知っているのにアクセルを踏んでみせて「動かないなあ」と言っている感じ。誰も乗っていないので「いや、ブレーキ掛かってんじゃん」と指摘してくれる人もいない。正しい指摘は「いや、ガソリン入ってないでしょ」かもしれないし「カーナビの電源入れるだけじゃ動かないんだよ」かもしれない。
短歌をつくったことは何度かある。学生のころには作曲したこともあるし、さらにもう少し若いときは作詞もした。もっと昔、小学生くらいのころは四コマ漫画を友人と交替で描いたりもしていた。技術やセンスのようなことは脇においても、創作をしていた経験はある。読んだり観たりすることはいまも好きで続けている。それなら、どうして「どう書けばいいのかわからない」状態から出られないのか。書けてもよさそうなのに。
なんとなく、たぶんそうなのだけど、ハードルを上げてしまっているのだろうな。小学生の四コマ漫画はクラスメイトに笑ってもらえれば十分だし、作詞も作曲も身近な友人の範囲で楽しむつもりでやっていた。短歌もSNSに放流するくらいで気負いはない。小説を書くとなると、自分がいままで読んできた小説たちと同じ土俵に上がらなくてはならないように感じる。ここで委縮してるような気がするな。そんなに大層なものではないはずだ、たぶん。同人小説やなろう小説などをまったく通ってこなかったというのもあるのだと思う。「これは自分でもできるな」という若気の至りのような気持ちや、つくったものを冷静に判断したりしない勢いのようなものが、たぶん最初の段階には必要なのだ。どうやるんだっけな、それ。
普段の仕事でインタビュー記事を構成したり、ブログにあるていどの長さの文章を書いたりするときは、どうしているんだろう。仕事の文章は特に、テンプレートに当てはめていくことが多い。取材時に語られたことを整理して、そこから必要な情報を抽出する。不足している情報は調べて補う。読みやすいように並べる。リズムを整える。そういう書き方は小説を書くときにも適用できるんだろうか。既存のテンプレートを借用するのはいいのかもしれない。自分のフォームがわからないと話が進まない。
さらば青春の光というお笑いコンビの「芸術家」というコントを最近観て、笑えるんだけど、笑えないわーと思った。コントに出てくる兄みたいだ、いまのわたしは。とりあえず描いてみいや、まだ兄ちゃんの絵のタッチも知らんで、その苦悩の仕方はどこで覚えたんや。はい、とりあえず書いてみます。とりあえず書くところを突破したい。