お金を使うことが年々難しくなっている。
もともとお金を使うタイプではない。無駄遣いはしないし、物欲もあまりない。過去数年の断捨離や捨て活を経て、所有しているものの利活用していないモノをたくさんてばなしてきた経験が、買い物を控える行動に拍車をかけているのかもしれない。
過去によく使ったと思い返せるのは、ファッション、外食、飲み会ぐらいだろうか。お金のかかる趣味はほぼ経験がなく、インターネットやライフログに多くの時間を費やしてきた。お金をかけずに毎日を楽しめる術は、いつのまにか身についていた。
ここ2、3年で大きくお金を使ったこととして、実家のローン返済の一助と車の購入が記憶にある。前者は両親のためであり、後者は家族のためだ。
話は横道にそれるが、車は結果的に好きになってしまった。ドライブ自体が楽しいし、行ったことのない場所に思い立ったら行ける利便性に魅了された。3桁万円のイニシャルコストと駐車場やガソリンのランニングコストは積もり積もると大きな出費になる。それを差し引いても、車の体験価値は上回っている。
そう、お金をたくさん使ったと思い返せるのは、これぐらいしかない。お金を使う対象がなかなか見つけられないでいる。そして、40歳を過ぎると、生活がある程度固まってしまうので、それに応じてお金の使い道も硬直してしまう。
結果的にお金はそんなに減らなくなっている。果たしてそれがいいことなのかはわからない。経済的自立に向けた資本蓄積ともみなせるし、興味範囲や好奇心が減衰しているあらわれともとれる。
DIE WITH ZEROは理想的だ。宵越しの銭を持たない毎日はこころもとないが、死ぬ時にはお金を心置きなく使えたと思いながら果てたい。その理想には、このままのお金の使い方の延長線ではたどりつけない。やっかいなことに死の時期は、誰も事前に教えてくれない。人生におけるお金の使い方は、自分でデザインする必要がある。
何にお金を使うか。1番はとても身近な人のため。次は自分のため。これまでは、自分のためを最優先していたが、そんなに大きくお金を使っていない事実がある。自分のためのお金の使い方は、このままだともっと下手くそになってしまう。うまくお金を使えるようになりたい。