ゴールデンウィーク最終日である。ゴールデンウィーク中の平日1日は仕事をしたものの、それ以外は休みにしたので、実質9連休だ。毎日日記をつけており、ゴールデンウィーク中も過去数年にわたって日記を記している。ゴールデンウィークの過ごし方はそれほど変わらず、なるべく仕事から離れて毎日の暮らしをととのえることが習慣になっている。まとまった断捨離をするのもこのタイミングだ。
まとまった時間には、やるべきことリスト(やりたいことリストとも言う)を1つずつ消していく。それがこれまでにやってきたことだった。ただ、これらのリストをただ潰していくだけでは、昔ほどの達成感は得られなくなっている。むしろ、やらないことリストを作って、やらないことを決めていくアプローチが必要かもしれないと思い始めている。時間の有限さを感じる時が、過去に比べて増えたからだ。
年末年始の長期休暇は体調を崩していたこともあり、不完全燃焼のまま休みを終えてしまった。不完全燃焼とは「たっぷり休めた、明日から頑張ろう」とい気持ちになれないまま、長期休暇を終える状態のことを指す。
年末年始は体調不良がたたり、外に出る機会が少ないまま、うつらうつらと過ごしてしまった。その時に感じたのは「漠然とした将来に対する不安」だった。人は暇を持て余すと、本来は向き合う必要のない不安を過度に憂いてしまう。
このゴールデンウィークでは、不安の感情はあまり生じなかった。つまり、暇ではなかった。関西への引越し、友達がいる静岡県や埼玉県への往訪、久方ぶりの野球観戦。ほぼ毎日何かしらの出来事や、人との出会いがあった。暇を持て余さず、充実したゴールデンウィークを過ごせたのは、新しい体験を求めて外に出ていったからだ。
リモートワーク中心の毎日のおかげで仕事は進むが、新しいイベントや人との物理的な出会い・コミュニケーションは激減している。数年前はほぼ毎日出社をしていて、何かしら人と会っていたことを思い返すと、生活は激変した。
リモートワーク中心の生活に恩恵を受けていることは間違いないが、好奇心はしぼんでしまった。もともと好奇心は旺盛ではないが、それにしてもさまざまなことに興味を持つ機会が減っている。増やしていかなければと思う。
静岡に会いに行った友達は、縁もゆかりもない静岡を移住先に選び、新たな関係性をたくさん作り出していた。案内してもらったどのお店でも顔見知りの人がいた。その関係性を見ていると豊かという言葉が浮かんできた。同時に、自分にはこういう関係性を人と作っていくのには向いておらず、別の生き方を模索しないといけないな、とも感じた。
ゴールデンウィークが終わると、また会社員としての仕事生活に戻る。5月中は本業の仕事が1つの山場を迎える。忙しくなりそうなことは間違いない。そこを乗り越えると、大阪への引っ越しが待っている。住む場所が変われば、生活も変わっていくはず。変わることに期待はあれど、自ら変わるための行動を起こさないと、やっぱり何も変わらない。