ほぼノンアルコール生活に変わったことに、大きなきっかけはなかった

ficas
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ビールやハイボールを毎晩飲まなくなって数カ月が経つ。それまでは、4リットルのウイスキーを常備し、ほぼ毎晩500ミリの水をソーダストリームで炭酸にして、ハイボールとして飲んでいた。

飲み続けていた理由は、単純にハイボールの味が好きだったから。仕事を終えて、夕飯とともに飲むハイボールは格別で、仕事と生活に線引きをする役割を果たしていたのかもしれない。いや、飲んでいたときにそんなことを考えたことは1回もない。いま、しずかなインターネットで言葉を綴っていたら、出てきた表現だ。

好きだから飲んでしまう。この繰り返しが習慣となった。習慣とは、意識せずとも反復してしまう行為である。ハイボールをほぼ毎日飲んでいるときは、何も考えることなく、ただただ習慣として飲む行為を続けていた。

ふと、辞めてみてもなんら問題ないのでは、という考えが頭をよぎった。ウイスキーが空になったタイミングで、追加購入をやめ、ノンアルコールビールに切り替えてみた。

ノンアルコールビールを飲み続けていても、満足感は得られた。味はハイボールのほうが好きだが、ハイボールでないといけない確固たる理由は見つけられなかった。ノンアルコールビールでも問題ないと思えた。ここ3ヶ月ほど、ノンアルコールビールで毎日をしのぐことができた。

ノンアルコールビールのストックもいよいよなくなり、夕飯とともに飲むのはお茶か水になった。特に違和感もなく、ここ数日を過ごせている。

習慣化の効果ははかりしれない。今の状態を作っているのは、過去からの習慣の継続である。よい成果をもたらす習慣は歓迎だが、悪しき成果を生み出す習慣は断ち切るべきだ。そんなことは分かっていながら、お酒を断つことができていなかった。でも、いまはノンアルコール生活を継続できている。

断酒に大きなきっかけがあったわけでもなく、なんとなく辞めたほうがいいかもな、ぐらいにしか思っていなかった。それぐらいのふんわりとした気持ちでは、変化をもたらすことが難しい。

こういう小さなことが、生活やくらしのなかにはたくさんありそうだ。いかにそこに気づけるか。ふとそんなことを考えた。