「ルーティーンで暇が埋まると、精神が安定する」。年末年始から日常に戻って痛感したこと

ficas
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実家に帰省すると、膨大なほどの暇な時間にでくわした。毎日時間に余裕があったおかげで、関西移住のためのいろんな場所に訪れることができた。一方で人間は暇すぎるとどうでもいいことを色々と考えてしまう。将来や今後のキャリアに対する不安がよぎり、重たい気持ちを抱えたことも事実である。

帰省を経て、関東の家に戻ってきた。1日2日経ったところで「ああ、現実に戻った」と感じた。この感情は、日常のルーティーンをこなすことで生じたものだ。

  • 朝起きて部屋をきれいにし、ロボット掃除機のスイッチをオンにする。

  • コーヒーを淹れて一息ついたあとは、ゴミ捨てをする。

  • パソコンの電源を入れて、その日やることをリストアップしたり、落書き帳を開いて0秒思考を進める。

  • パートナーが犬の散歩から帰ってきたら、洗濯機を回す。

  • スーパーに買い出しに行き、週末の場合は野菜中心の作り置きを2〜3品作る。

  • ご飯は作ってもらうことが多く、作ってもらった場合は洗い物を担当する。

  • 平日の場合は、この合間に仕事が入る。

これが「ああ、現実に戻った」の実感となった日々のルーティーンである。実家にいたときは、これらのルーティーンはほぼ何もやらなかった。その間、家事の多くを手掛けてくれた両親には感謝しきりである。

現実に戻ったことの効用もあった。帰省時に暇すぎて生じた不安やモヤモヤを感じることが、ここ1、2日なかったのである。

こちらの生活に戻ると、ルーティーンのようなやることはたくさんある。その間、頭と体と心を動かして、何かしらの行動をしている。その結果、アウトプットも生じる。たとえルーティーンであっても、やることがあると、暇ではなくなる。暇でなくなると、余計なことを考える時間がなくなる。こんな流れである。

暇がなくなり、行動が続いている時は、精神が安定する。これは実家に帰って暇な時間がたくさんでき、不安について考え込む余白が生まれてしまったことで得た気づきともいえる。人間、適度に何かをやっている方が、余計なことを考えなくて済む。