ダンボールソムリエ
Xのフォロワーにダンボールを偶に食べる人がいる。湿った段ボールを千切って食べる。お通じが良くなる。箱の中に何が入っていたかで、味も変わるのだとか。完全にソムリエである。(本人以外の読んでいる人のために言っておくけど、多分金銭的な理由ではなく、趣味的に食べている。)
その人の健康を心配した。お腹壊さないようにね、と言ったけど、お通じの話をされては…。そうか…お腹を壊すために食べてるのか…そうか…。せやかて…。でも食べものではない、栄養ではないってことは、実質ゼロカロリーか。いやそうじゃなくて…。人間って経口すれば毒ではないと認識するらしいね。いやだからそうじゃなくて。自分の過去の経験、情報、知識が頭を巡り、言葉を詰まらせる。考え込んだ。
身体に異物を取り込んでいるのだから、消化されないものを食べているのだから、その、なんだ、詳しくないけど胃とか腸とか悪くするんじゃないか。それこそ盲腸?とか?病院行きになってもいいのかな?その時はその時?病院好きなのかもしれない。あえてかも。病院に行くよりダンボールを食べるほうを選んでいる。病院にかかるお金や時間を惜しまない、怖くない。そんな感じなのかも。一度や二度、大きな間違いや後悔をしないと正しくなれない、私もそんな経験があるし、それは人によっては必要な場合もある。あえて……か?あえて今無茶して身体を壊しても病院に行ってもむしろ望むところなのか?ましてやそのフォロワーはかつて(介護されたくないから)若いうちに死にたいと言っていた。なんかもうまさか大病になったとしても、それで命を落としてもバッチコイなのか……?そうかもしれない……。ちゃんと計画されたユア・ストーリーなのかもしれない。
病院に行かずとも、痛い苦しい思いはするかもしれないじゃないか。でもそれも楽しんでいたら?私は嘔吐癖がある。嗚咽って気持ちいいなって思ってるので。お腹痛いことも楽しめる人なのかもしれないじゃないか。フォロワーだけじゃなく、世の中のマゾを否定することになる。楽しんでなくても、必要だと思っていたら?いわば自傷であり、その人が自分でいられるためにしている行為なら、簡単にやめろとは言えない。それに生き甲斐とか生き心地とか出されたらもう何も。
悪食偏食とはいう。世の中にはなぁ!土食ってる人もいる!そこらの道路に生えてる雑草も普通に食うし!生の豚ミンチも食う!日本人は最たる例!……ネブラ夢短編『アクジキ』にて同じような話をした。この世はもう悪食とかいう言葉は無いんだ。好き嫌いだって文句言われない。アレルギーだってあるんだし。ずっと同じもの食べててもいいし、お菓子しか食べれないならお菓子だけ食べていいんだ。ちゃんとリスクを理解して、時折ちゃんと栄養を摂るなら。太ってても痩せてても個人の自由だし、食べる量の多さ少なさは個人差があるし、会食恐怖症の人だって怖くない人と一緒に食べていい。自由なの!食は!
てかお節介かもだね?そう考えるとね?何を食べてもいいじゃないか。私ならお腹壊すかもしれないけど(試してないから分からないけど)、フォロワー的には普通のことなんだろうし、多分絶対雰囲気的にそうだ。鉄の胃自信ニキなんだ。なんか私もううるせーかも。
栄養管理士って誰の栄養管理するのかね。大体は栄養をきちんと取りたい人か。食育ってなんのためだっけ。広義すぎる、その疑問意味ある? 青虫って葉っぱしか食わないのに綺麗な蝶々になるんだぜ。その人もきっとそうだよ。何を食べていたとしても美しく成長し活躍する。
私最近胃もたれよくするんだよね。一食に詰め込み過ぎて食い倒れる。何もできないまま時間かけて消化する、それが愚かで無駄に思える。でもそれって自傷?それとも、他のやりたくないことからの逃避?防衛?いやただ単に食い意地を張っている、暴食の欲望を満たしている。どれにしたって食を楽しんでいるわけではなくて。いや楽しんでるのかな。でも歪んでるんじゃないか、だとしたら。
『ダンジョン飯』ではモンスターを食う。美味しく食べる。物語の最後には大勢の仲間が集まり、時間を掛けて大量の料理を食べる。そこに悪食はないし、時間を掛けても、何度満腹になっても、美味しく食べる図がある。美味しく、喜んで食べて、楽しさや幸せを感じている。
『チェンソーマン』ではデンジが一ヵ月時間を掛けて、一つの大きな生き物を色んな料理にして食べる。全て、丸ごと、毛や、普通は料理にしないところまで。多分美味しくないところもあるし、全ての食事の時間が幸せではなかったかもしれない。
食事の本質って何だ……?
食べれないものを食べてもいい。食べれるけど捨てることもある。飲食店の廃棄は、ところによってはゴミ袋を圧縮するために足で踏みつけるらしい。人によっては罪悪感を感じるだろう。飾り野菜、たとえば刺身のつまとか。もったいないけどしょうがない。食べ物の価値は食べものだけじゃないから。見た目を良くしたり、おもてなしだったりするから。美味しくなるよう品種改良したってセールスが悪ければ食べられないし、作る人はいなくなる。地球が滅んだあと、異星人が見つけたその種が、星の復活や再興を短縮させて、新人類の舌を喜ばせるかもしれない。ダンボールだってじきに食べられるようになるし、食用ダンボールだって作られるし、美味しく品種改良されて色んな人にプロモーションされてレシピ本だってバンバン出されて一世を風靡するかもしれないだろ!!
ちょっと、思いつく限りばーっと書いてしまったので、取り留めのない脈絡もへったくれもない、読みづらい文章になっているかもしれない。すいません。あまり日記やコラムを書く時は、ノイズにならないように、持ち出す話題や自分の経験談や他の作品の話は厳選しないといけないと頭では分かっているんだけど。“食”だからなぁ。人間と切っても切り離せない身近なものだし。例えば、そもそも食べない興味ない嫌悪の対象である、という人にとってもそれだけの存在感があるわけで。無限に引き出しがあって、数撃てばどれかは共感を得られるかもしれない。私の混乱や葛藤を分かってくれるかもしれない。そんな下心もあります。
決して否定をしたくない、嫌な気持ちになって欲しくなくて言葉を選んで考え込んだら迷宮入りした。そのフォロワーにはありのままでいてほしいと思っています。もし将来的にダンボールを食べることを止めても、依然食べ続けていたとしても、どちらでもいいです。それがフォロワーの幸せなら。
まあ、でも。私のフォロワーにはちょっとだけ変わった子がいるんだぜ?フフン、という優越感もあります。でもそれはダンボール云々があろうとなかろうとの話でもあるので。
この話を日記にしてもいいと許して下さったフォロワー。改めてありがとうございます。今まさに文章にまとめて頭がすっきりしました。願わくばこれを読んで気分を害してなければよいのですが。とにかく、ありがとうございました。これからも宜しければお付き合い頂けばと思います🥺🤝

最後まで読んで下さりありがとうございました!