並んで黙るふたり

fin
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公開:2023/11/23

大人数の中のひとりとひとりだったときには思いもよらなかった距離感や親しさがふたりのときにはありえるのだ、と思うことが続いた。そのひとつについて。

普段働いているところを本館とすると、時々分館での仕事があって、本館に戻る電車に上司とふたりで乗るのは2度目だった。直属の上司である彼女が母と同い年だと最近知った。いつもちゃきちゃき動いてびしばし指示する、完璧な仕事人。それでもわたしが社内で最年少だからか、部内に女性がわたしたちしかいないからか、働き始めて5か月ほど経っても明らかにみんなよりやさしくしてもらっている気がしていた。本館までは1時間と少しかかる。以前はまだ緊張していたけど、その日は仕事がスムーズに終わったのもあってなんだか気が抜けていた。気づけば指示を出す、出される関係からは遠く離れて、わたしたちは並んで座りながらごく個人的な話をたくさん交わしていた。彼女は幼い頃から色んな街を転々として暮らしていたこと、結婚していたこと(今はしていないこと)、施設にいる母親や毎週会うほど仲良しの兄のことなどを、いつもとは異なる柔らかな声で話してくれた。わたしは上司相手であることを忘れて、敬語ではあるものの親しい友人と話すときと同じような相槌を打っていた気がする。きっと社内の他の誰もが知らない話もあっただろう。それくらい彼女がほとんど無意識に開示してくれているのを感じて、ぼんやりとあたたかい感情が芽生えた。わたしも生まれた街や、通っていた不思議な小学校、父と父らしきひとのことなど彼女の半分にも満たないこの短い生についてぼろぼろと溢していた。彼女も穏やかに頷いては、そういう経験のどれもが出会ったときから感じていたあなたの芯の強さを支えているのだろうねと言ってくれた。高校の先生からもらった、あなたはスルメだねという言葉をふと思い出した。話せば話すほど興味が湧く、おもしろいと褒められているらしい。11月の昼過ぎの電車の、あの柔らかくてぬくい光がわたしたちの並んだ肩に当たっていた。本館に戻るといつもの彼女に戻ったので、またあの彼女に遭遇できるようにがんばろうと決めた。できることがもう少し増えたら二人でお酒を飲みませんかと誘ってみたい。

大人数でいるとき、わたしにとっての大人数とは3人以上だが、ここにわたしは必要だろうかとすぐ考えてしまう。いないといけない場合ももちろんあるけれど、ここでわたしが話すことにどんな意味があるのだろう、話さなくてもいいんじゃないか、誰かが話してくれるんじゃないか。結局は人まかせで逃げたいだけなのかもしれないが、本当にわからなくなるときも度々ある。親しい人たちに対してはそんなことより先に話したいことが浮かぶのだから不思議だ。でもわたしがいちばんわたしでいるのはひとりでいるときで、その次にいちばんわたしなのはやはり、ふたりでいるときだと思う。目を合わせるのはむずかしくても、並んで同じ方を見てぼそぼそと話せるだけで、わたしはここにいたいと願ってしまう。なんなら、並んで黙っているだけで落ち着く関係がいちばん好きで、またそんな時間を過ごしたいと願いながら、いつのまにか22年も生きている気がする。

(アイコンの鳥、そばにいながらそれぞれ好きな方を見るのも自由でいいかもしれない)

@fin
よるべない言葉たち