最近、SNS(おもにTwitter・現X…めんどくせえな)でウェブ記事に言及するひとが減った気がする。自分の書いた記事の反応が知りたいというのもあるけれど、「いまどんな記事が好まれてるのかなー」って感じでいろんなサイトの記事とその感想を読むのが好きだったからです。なおヤフコメを見ない健康法を採用しているので年単位で見てないです。
そんな感じだったんですけど、なんだかここ2.3年「そういう感想ツイート(…ポストか、めんどくせぇな)」が見えにくくなっている気がして。Twitter…現XああもうTwitterでいいかな? いいよー。はい。
Twitterで起きたことに対してTwitterで言及されて、それがTwitterで広まって、それがウェブ記事になってまたTwitterで拡散され以下略…みたいな「言及」は見るっちゃ見るのだけど。でもそれって大概「炎上」案件じゃない。マフィンとか。てか、もういいじゃんマフィンは……ダメ?
あるいは、好きなアイドルやミュージシャンの記事は固定の数字を持っているように見えるけど、その記事きっかけで興味を持つ……みたいなケースは減ってる気がする。そして最初に知る(ネット上の)「きっかけ」は本人たちのSNSでの発信やTikTokやYouTube経由で…の方が最近は多い気がする。これはあくまで肌感のはなしで、アンケートとったわけでもないので、実際のところは分かりませんが。「気がする」のはなし。だから、「もともと興味があるもの」への言及は目に入るのだけど、「よくわからない未知のもの」に対する言及はあんまり見えてこない。昔はそんなことなかった気がするのだけど……そんなでもない?
それともうひとつ、広告増えた&バナーが大きくなった……つまり読みにくいサイトが増えたなーってのもありませんこと? 自分が仕事で書いてるサイトでも、気がついたら「う…読みにく…」ってなるときもあるので、読者の人はどうなんでしょう。だから「もともと興味があるもの」に対してはそのコストを払ってでも読むけど、そうじゃない場合は足が遠のくのではな……、だから言及が減ってるのかしらん? という仮説を人にはなしたところ、「それもあるかもしれないけれど、そもそも今は昔より〈SNSで言及すること〉自体をリスクと考えるひとが増えてるのでは?だから〈推しだから〉だったり〈友達だから〉だったりの強い動機がないと表では言わない。実際記事のシェアってLINEとかが多いし(意訳)」とかえってきて、あーーーーーーーってなりました。
それはある。だから、自分が応援したいもの(推し、友達など)も、つけ加えると炎上もあらかじめ自分にとってどんなものか、だいたい判断ついてるじゃないですか(炎上案件が後からひっくり返ることもあるけど、その頃にはだいたいの人は忘れてるし)。どういうものかわからないものを言及するのは怖い。たとえばおもしろーいと思ったコンテンツの作者がバキバキの差別主義者だったり、運営元が怪しかったりだとか、あとから知ってワー…ってなることもあるので慎重にならざるを得ない。それはネットリテラシー的な意味では大切なことなんですけども。
でもさ、なんていうか、インターネットから「なんとなく」が失われてきているというか。「なんとなく」気になった記事の感想をいうだとか、そういう「なんとなく」の集合体が「インターネット」だと思っていたけど。Twitterだって、そもそも「つぶやき」じゃん……ああ、いまは「ポスト」か、めんどくせえな。とはあえ、自分だって「なんとなく」ネットに書くことが減ってるし。「うっかり」筆が滑ることはあっても(筆?)、めちゃめちゃ考えて書くようになったと思う。えっ? 考えてるんですよ、これでも。
そういう意味ではここに書いていることは、かなり「なんとなく」度が高いな。しずかだからかしら?