今週もいろいろと出かけ、人にあって話をした。
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前職の同僚の誘ってもらったイベントへ。ユースワークという取り組みについて。青少年活動の支援は、日本だと相談や課題解決が中心、欧州では好きなことをできる環境を整え一緒に取り組むことが多いそうだ。
近代美術館の中平卓馬展へ。中平を知ったきっかけは覚えていない。「なぜ植物図鑑なのか」は持っていて読んだことがあった。イメージが氾濫する時代にこの人はどんな文章を書いたのか、気になる。
このしずかなインターネットで週刊日記を、手帳に1日ごとの日記をつけている。昨年の退職後からはじめた。習慣化できつつある。1日ごとの日記は行動記録とメモを書くようにする。
村上隆の展覧会「もののけ京都へ」。京都の京セラ美術館。作品が大きいこと、細部の書き込み・作り込み、作品の表現方法の幅広さが印象に残る。サービス精神の旺盛さとベースの村上隆の実直さ。子どもから大人まで楽しめる世界的な現代アートは貴重。観てよかった。
お手伝いしていたプロジェクトの振り返り会議が終了。報告書をまとめている。Googleドキュメントの機能はどんどんよくなっている。ワードより使いやすいかもしれない。
知り合いが休職に入った。スターバックスのカードを差し上げる。何をしていいかわからないらしい。私も休職していたときは何をしていたか思い出せない。
マティス展をみる会の打ち合わせ。話してより簡単な流れにすることにした。それでいいと感じる。
神戸市の横尾忠則現代美術館「横尾忠則 ワーイ!★Y字路」へ。担当学芸員である山本さんのギャラリートークがやっていて、これがよかった。堀尾貞治さんともご縁があるみたい。出生地である西脇町での展覧会で見出したY字路シリーズの変遷を聞くことができた。色々と触発される。
自分でできるようになる、とはどういうことなのか。一人でもやれるようになる、というのはどういうことなのか。やってみないとわからないことだけど、間違いないのはどんなことをしても一人でやっている、ということはありえないということだ。だから感謝しなさいとか仲間が大事ということとも違う。一人でできたという経験がその人の能力になるとされているが、実際はちがう。その人のその状況において色々な人・自分との協働でそれが成り立つ。そうしたごちゃごちゃとしたものを捨象していくと自分軸とかそういう虚像に頼ることになる。ごちゃごちゃとしたものと共存するためのアプローチは人や状況によって違うのだろう。その一つに感謝という態度があるだけだ。ただそれを観察することで存在を認知するというやり方もあるだろう。
京都と神戸へ。10月末以来。行った場所はだいたい一緒。印象はちがう。東京でも二度も行っていない場所がある。そう考えると不思議だ。高速バスの移動のせいか、場所が変わっている感覚が希薄。
表現研究会。初めて参加する。京橋駅前からスカイプをつなぐ。冗長性の高い文章の魅力について。