今日は、仕事をお休みしました。
うつ気味で、朝起きる事が辛くて、その上月経の開始まで重なって。正直に話すのは躊躇われたので、熱が出て、風邪気味で……と言って、お休みした。
有給休暇の日数を、体調不良のお休みでどんどん消化してしまっている。多分、1年間のうち、体調不良で休む日数>取得出来る有給休暇の日数、になってしまうと思う。
これから先、有給を使い果たし、体調不良の際は欠勤してお給料がちょっと減っても、まぁ働いているだけとても偉いと思っておこう。という話を、母とした。
「去年とは、別人のようですね」
5年位お世話になっている、漢方薬局の薬剤師さんに、この一年間で何度か言われた言葉だ。
一年前の私は、就職活動をしていて、既に今の会社から内定を貰っていた。引っ越しの算段を立てていた頃だと思う。
去年の春は、おそらく軽躁状態にあって、引っ越した後に不調やうつがやって来たらどうするのか、等は全く考えずに行動していた。
働くということも、まともにイメージせず、ただ「やってみたいから、やる」というエネルギーに溢れていた。と、言うと聞こえは良いのだけれども、軽躁状態にありがちの視野狭窄と向こう見ずで、突っ走ってしまっただけであった。
入社してから、あと少しで一年になる。初めは、やっぱり(半引きこもりだったから)ヒトの集団というものが恐くて、不安で一杯になり、ネガティヴな感情を吐き出すためのノートにびっしり文章を書いてから眠る日もあった。
働いてはいるけれど、働きながら生活をして行くということは、一人だととても難しいと感じる。
母を呼び付けて、色いろと生活の補助をして貰う日も多い。「一人暮らしをして、働く」と自分で決めた事なのに、と申し訳なく感じる事も多いし、一方で「病気持ちなのだから、誰かに頼りながら生きて行っても良い筈だ」と思う事もある。
一人暮らしをして働いているのならば、こうでなければ……という思い込みが、自分の中にある事に気づく。
思い込みに縛られるのではなくて、自分自身のキャパシティや、自分を支えてくれる人(私にとっては母親)のリソース等を考慮して、相談して、自分の暮らしを作っていけたら良いんだと思う。
フルタイムで働く事は、簡単な事ではない。けれども、今のところ、辞めたいとも辞めようとも思ってはいない。
色いろと支えてくれる母のお蔭でもある。働く事は疲れるけれど、嫌いではない、という事に気づいた。自分でも、これは意外だった。
毎日、行かなければならない場所があって、しなければならない事がある。それは苦痛だと思っていた。20代の私であったら、苦痛な事だったかも知れない。
学生時代、うつからの病み上がりにした、たった一ヶ月の短時間のアルバイトでひいひい言っていた。今考えると、病み上がりにするには過重な取り組みだったのでは、と思わなくもない。
ともかく、少ないアルバイトの経験から、働く事=大変でしんどくて縛りが多くて休めない……と考えていた。
そういったネガティヴな思い込みは、働きながら解きほぐして行っているように思う。うつ気味の時には、そのように思える事もあるけれども。
今は、働けるというのは、幸運で幸福な事のように感じる。精神障がい者でありながら、“マジョリティのふり”が出来ている、という気持ちになれるからなのかも知れない。
とても傲慢だけれど、でもやっぱり、“ふつう”であるかのように振る舞える安心感は、ある。
“ふつう”に働いて、“ふつう”に収入があるのが“当たり前”――という意識のあり方を、問題にすべきだとは思うけれども。
現に、“ふつう”は、“みんな”がそういう意識を何となく持っている中では、“ふつう”でいられない(なかった)当事者でも、その意識に引きずられ、呑み込まれてしまう。
自分の有利さには自覚的なつもりでいたけれども、傲慢さには無自覚だった。
気を付けなければいけないな、と思った所で、今夜はそろそろ寝ようと思う。
おやすみなさい。