一度聞いただけで(はないかもしれないけどとにかく)覚えている話というものがあって、そのうちの一つが「暴力のある環境で育った人間は、自分が望まなくとも行動の選択肢に「暴力」が浮かんでしまう」みたいな話なんですが( https://wluck-park.com/special/18433/ )、恐らくこれと同根のところに、「自分が持っているコミュニケーションの型は、自分が通ってきたコミュニケーションの型のコピーなのではないか」みたいなきもちがある。
要するに、片方は相手の言った話を全部否定し、もう片方はそれに反論していく型のコミュニケーション。これは、当人同士がストレスがないなら漫才のノリツッコミみたいに成立するだろうとも思うんですが、少なくともそれを聞いてる第三者のわたしは、結構ストレスを感じるんすよ。
で、わたしはストレスを感じ、「そういうコミュニケーションの型は使うまい」と思うんですが、ほんとに使わないでいられているか…?ていう検証はね、他人にしてもらわないと分かんないだろと正直思うんだよね。自己評価しないともちろん出発地点には立てないが、他者評価がないと出発進行できないだろっていうかね。まあでも、とりあえず出発地点から地下へ転がり落ちないようにすることは、自分の努力の範囲内でできますからね…多分…。
ところで今日は、流石に年一でしか会わない親族相手に「まあそれ中国人とは限らなくないすか、日本人も同じことしますからね」と秒で突っ込む勇気を出せず、申し訳なかった。でも、そもそも会話を聞いているだけの第三者だと、こういう突っ込みがやりづらいのはある。
みんなたちはどう?突っ込みにだけ飛んでいくフッ軽になれてる?わたしは職場だとちょっとなれてる。つまりやっぱ親族相手には臆しました。
という訳で、会話を聞いてるときのストレスに関する日記でした。嫌な日記だ。