これは何度も何度も何度も何度も言うことなんですが、流行りのAIがやってるのは相場=「大体みんなこうしてる」を出すこと (その「みんな」の幅をデータセットやプロンプトで「Aさんの絵」に絞った結果が「パクリ」) なので、絵に限ったことではなく「大体みんなそうできることができない」身体を持つ人、いわゆる障害者の補助というのは割とド真ん中な使い方なんですよ。(実際に場面緘黙症の小学生がLLM?で筆談にプラスアルファしたような形でコミュニケーションを取るアプリを作って何かの賞を取ったニュースがありました。まだ実験的な試みだとは思いますが、視覚障害者がAIで作った絵の展覧会もちょうど最近あったはずです。)
「狙い撃ちLoRA」のようにデータを絞って特定個人の作品に乗っかりに行くならともかく、58億だかのデータ全体から相場を出すことはそれでも許せない「搾取」なんですか?手にハンデを負いながら創作を志す人に画像生成AIを渡したら、適当なプロンプトの「ガチャ」しかしないと思ってるんですか?綿密に意図を表現に落とし込むことが「今はできない」なら、「これからできるようになる」という可能性すら否定するのは何故ですか?
今まではAI論争に対して自分が関わってきた複数分野の表現活動を踏まえて個人的な「創作」観から物言ってましたけど、「手が使えないからってAIを使うよりも口や足で頑張る方が『素晴らしい』よね」とかいう言説はもはや倫理的に我慢なりません。当事者が「AIを使うべきではない」と言っているのを援用するのならともかく、「手が使えないが、口や足で絵を描くことに誇りを持っている」という表明を「手が使えない人は、口や足で絵を描くことにこそ誇りを持つべきだ」にすり替えるのを今すぐにやめてください。