「学習性無力感」というもの

Nagiの走り書き
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公開:2024/9/19

「学習性無力感」という言葉が、まさに自分のなかに立ちはだかる壁だということを今日はっきりと認識した。

行動することが怖い。

誰かに指示を受けると、行動できる。行動する言い訳ができるから。「行動する言い訳」ってなんか変だ。

自分の望みを実現するために、主体性を持って行動することが怖い。何か行動を起こすと疎まれてしまうのではないかと感じる。何もかもうまくいかないのではと思う。また孤立してしまうのではと……。

小中学校の人間関係や高校の部活、大学のサークル、新卒で入った会社。それなりに主体性を持って行動したと思う。全部がうまくいかなかったわけじゃない。ただその時々で受けた傷がいつまでも痛い。痛いということをずっと無視してきたのかもしれない。

望みどおりにいかないとき、「やっぱりダメか」と諦めて我慢することのほうがよっぽどラクだった。誰にも迷惑をかけずに済むと思った。そのうち、望むことをやめた。

大好きな友達を遊びに誘うことさえものすごく勇気がいる。声をかけてくれるのはいつも友達のほうだ。やさしい。ありがたい。でも、受け身なばかりでいては自分が遊びたいときに誘えなくなってしまう。

自分の望みは我慢すれば済むからと思ってしまっている。自分をまったく大事にできていない。びっくりする。自分が困っていることを無視し続けた結果が私の「学習性無力感」だ。

自覚できたという進歩があるわけだが、まだ怖い気持ちはある。焦っちゃいけないなと思っている。