なぜ「みんなに嫌われないようにする人」はみんなから薄っすら嫌われるのか。

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公開:2025/3/27

「みんなに好かれようとする人」ではなく「みんなに嫌われないようにする人」の話。明るく元気な人か、おとなしく口数が少ない人かという部分は関係がなく、積極的なコミュニケーションではなく、消極的もしくは逃避的なコミュニケーションをするタイプの人。

不思議なもので「みんなに嫌われないようにする人」は、なぜか皆からうっすら嫌われている状態になることが多い。

答えが出るものでもないが、どうしてなのか考えたことをまとめる。

踏み込んだコミュニケーションを避ける

踏み込んだコミュニケーションをすればするほど、相互に情報量が増えてしまうので好き・嫌いの濃度も上昇していく。表面的なコミュニケーションを続けていれば、濃度上昇を避けられるように感じられるため、嫌われないようにするためには、表面的で踏み込まないコミュニケーションを好む気がしている。

ずっと「本音」ではない

何でもかんでも本音で話せばよいというものでもなく、本音で話せる間柄ではないということもある。これは理由が全くわからないが「みんなに嫌われないようにする人」の場合、建前がうまくないのか隠すのが下手なのか、「あぁ本音じゃないな」と非常にわかりやすい。なおかつ本音でさえも本音に聞こえない。

なにがそう思わせるのかわからないが、なぜか「すべてが本音に聞こえない」普段の素行やコミュニケーション様式を持っていることが多い。

湾曲的な表現が多い

相手を傷つけて不快にならないように、直接的ではなく湾曲的な表現が多くなる。「つまり何が言いたいんだ?」と感じやすい表現になるのだが、ともすれば「話術で騙そうとしている」や「こちらの理解度を推し量っている」と感じられるため、逆に不快感を与えてしまう。

謝るが褒めない

嫌われないようにするので、謝るのは正常にできている。一方で褒めるのは難しく、おべんちゃらやお世辞に聞こえたり、上から目線でバカにしているように受け取られないように気をつける必要がある。

また、褒めるためにはある程度親密度も必要で、そんなに関係が深くない人から突然褒められても「はぁ……どうも。」としかならない。

褒めるためには相手がどのような褒めを好むかを知らなければならないが、それを知るためには踏み込んだコミュニケーションが必要となってしまう。

実はこだわりも嫌いなこともある

何が好きで何を嫌いであるかを積極的に発するタイプではないため、周囲からは特にこだわりはなく「仕事なので」と淡々と労働をこなす人のように見える。しかし、実際はなんらかの信念やこだわりは持っているため、そこに触れると大きな反発が発生する。

周囲からすると突然地雷を踏んで大爆発することになるが、その地雷は普段のコミュニケーションでは情報を得られないようになっている。こうなると非常に難しく、君子危うきに近寄らず、とにかく触れぬよう関わらぬようにと当たり障りのない範囲での相互理解に留まる。

周囲も最初は仲良くなろうと様々なコンタクトを取ってくるが、「踏み込まないコミュニケーション」「表面的な会話」「突然の地雷」を眺めることで、「関わらないほうが良いだろうし、彼も放っておいて欲しそうだ。」と察してしまう。


人間は未知を恐れる生き物なので「何を考えているかわからない」人からは距離を取るという、ごく自然な現象が起きているように感じる。嫌われないようにする動きはその実「好かれないようにする動き」と近接している事が多い。

好かれる人には好かれるが、嫌われる人には嫌われるという至極つまらない良くある方針が、最も快適に人生を通り抜けられる方法なのではないだろうか。

当然、わざわざ嫌われる動きをするべきではないが。