凍っていた時間にヒビが入った。パキ、なんて軽くて不気味な幻聴が響いた。そんな大晦日だか正月だか、とにかく2023年と2024年の境目、その年末年始だった事は覚えている。
支離滅裂だった。謝罪と、自分の犯した罪の肯定と、自分への好意が混ざっていた。泣いていたのは妹で、泣きそうになったのは姉──自分だった。ああそうか、自分はこいつの姉なのか、と。久々に実感した。ああそうか、自分はこいつへの愛情を忘れるのに懸命だっただけで、抱き続けているのか、とも。久々に実感した。
中学生。
よくある反抗期と思春期の複合系だと言葉で片づけるのはあまりに簡単で容易で。けれど、自分にとっては世界がひっくり返る衝撃だった。拒絶、罵詈雑言。
赤子から小学生。
共働きの両親に代わって、妹の姉で在らねば、愛する両親からもそれを望まれているのだから。……そうして生きてきた、家族の為にそうする事しか知らなかった。又そうする事で家族からの愛情も得る事が出来た。近所のお姉さんにも感心された。自分にとって姉で在る事は正しい事だった。
中学生。
世界の全てが敵に回った。罵詈雑言を向けてくるのは誰より愛しいたったひとりの、大切な宝物の、妹。大丈夫、自分は愛されている、好かれている、だからこの言葉遣いを修正する役目もきっと自分の役目で──、そうして掛けたお節介は、うるさい、うざい、消えろ、そんな罵詈雑言で掻き消された。自分にとって正しい世界が、音を立てて崩れていく。ダメな事はダメだといわなければ。両親に助けを求めた。両親の見ていない場での行いが大半だったけれど、きっと、きっと、自分に非はない、自分の精一杯は認められる。
──どうにも、努力を怠り尊敬出来る“姉”としての姿を失った自分が悪いらしい。ああ、そうか。自分は“姉″ではなくなったのか。
ブス、デブ──容姿の貶めは小学生の時分に受けたいじめを彷彿とさせる。
消えろ、死ね、鬱陶しい、邪魔──存在の否定は自己否定と希死念慮を募らせるには十分過ぎる。
死にたいなあ、なんて感情が胸の中心に巣食うようになる迄、そう長い時間は必要なかった。……何故なら小学生の時分のいじめで、幾度となく死にたいと、消えたいと、そう望んでいたから。その、再来だった。緩やかに何かがすり減って行くのを感じながら、それでも姉としての役割を放棄する事は出来ずに、罵詈雑言を浴びると理解しながら、来る日も来る日も、姉の勤めを果たそうとした、そんな愚か。
すり減ったこころはやがて、愛を憎に変換した。その日、世界でいっとう愛おしい妹は、世界でいっとう嫌いな存在に成り下がった。その日、目に入れても痛くない妹は、自分の世界への拒絶を望む存在に成り下がった。
高校生。
忙しさにかまけて自然と接点が減った。心はすり減って、もう“姉”である事は諦めた。完璧に戻るのも、完璧を取り繕うのも、それに向かうだけのこころは、残っていなかったから。“姉”ではなくなった自分への罵詈雑言はつづく。どうやら最愛の妹にとってはいよいよ存在だけで目障りらしく、それこそ“姉”の勤めを果たしていない、尊敬出来ない人間の話など聞けるものかと、振り撒かれるマイナス感情に、疲弊だけが募っていく。振り撒いた本人は感情をぶちまけられて満足しているのだから、なんとも、ははは、といった具合だ。両親は自分に「仕返していいよ」といい含めるようになった。然し幼い時分に同じくいい含められた「喧嘩両成敗」の神託が、それをよしとしなかった。自分は知っていた。どうせいつしかやり過ぎだと叱られる事。どうせいつしか「喧嘩両成敗」に戻る事。己の神は、その神託は、容易く姿を変える事。──神使には、耐える事しか、許されない。
大学生。
“姉”である事をやめた。ひとり暮らしは、姉妹神話の終わりを意味していた。姉として生きて来たすべての履歴を抹消するように動いた。姉として生きて来たすべてが馬鹿馬鹿しくなったので、連絡先の一切を絶った。着信拒否とブロックの嵐。絶対に自ら逢いに行く事はしないし、勉強のヘルプだって突っ撥ねた。「どうして都合よく扱われなきゃいけないの」「あんなに暴言吐いてたのに教える意味って何」──自分を何より誰より過保護に愛するようになったのはこの頃だ。妹の将来が不安になった両親からもヘルプを請われて鬱陶しくて堪らず渋々見てやれば、考えなしな事が露呈するのみで、物を考えてから依頼をしろ、と返却した記憶も何度もある。
興味深いのが、これだけ徹底して、自分は妹を恨み憎み嫌い、世界でいっとう縁を切りたいと主張していても尚、父親は「たったひとりの妹」という姿勢を貫いていた。血は繋がっていても所詮他人。その血の繋がりという特殊で歪な愛情を抱かせた癖に、それを断ち切るキッカケを与え続けたのは紛れもない妹本人なのに。あたかも自分が悪いかのようないいぐさに、嗤った夜も数知れない。「今はマシになっている」と父親と本人のふたりにいわれたのも大変愉快だった。現在があれば過去の罪の清算が一切ないままに許されるらしい。そんな馬鹿な話があって堪るか。そも。謝罪の一言もなく「今はマシ」という人間は何も信用出来ないし、よく考えないでも「マシなだけでゼロではない」。そう、恐ろしい事に、愚かな事に、開き直ったうえで平然と暴言を吐く時があったのだ。理解出来ない神経回路にこころを閉ざした。この男神とは、この神使とは、分かり合えない。
いつか許せる、自然と忘れる日が来る、たったひとりの姉妹だから。
決まり台詞に嗤った。そののろいが募る度に自分の怨恨は募るのに。妹は外面はいい。そして他人の心を死に追いやっておきながら、世間さまには姉が好きで好きで堪らないのだと、尊敬しているのだとのたまう。それを聞いた世間の人々はあんなに好かれているのに、という。ああ、神使の癖をして神託に逆らう事を選んだからか、世間さまが厳しいな。
社会人一年目。2023年。2024年。
なんの皮肉かふたりの神使は双方が教育に携わる事になった。妹と縁を切りたくても祖母は好きだし母も好きなので、親戚の集まりというものには顔を出す。日が変わって皆が寝静まる丑三つ時に、自分は気侭に今の作業のお供でもあるタブレットで音ゲーをしていた。画面をタップする音が耳に心地好い。心地が悪いのは、同じ部屋に妹がいる事だけ。
そうして、冒頭。パキ、と。こころにヒビの入る音がした。
妹からの突然の謝罪に耳を疑った。なんと教育業界に身を置くようになって自分の罪を自覚したらしい。許してくれとはいわないが元に戻りたいどうすれば。そんな戸惑いも吐露された気がする。──ああ、どうも自分は未だ“姉”らしい。悔しいかな、愛情は消えていなかったらしい。この謝罪ひとつを聞くのに、10年は軽くかかった。諦観と恐怖と絶望と。解けるのにきっと10年はかかる。けれど、雁字搦めの結び目が見えた。そんな日。
姉妹神話は終わりを告げた。お終い。