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これはかつて北関東で覇権をとっていたご当地コンビニのセーブオン。すべての店舗がローソンに吸収されてしまい、今ではもう看板を拝むこともなくなった。セブンのジェネリックぽい名前なのも、これまた味わい深い。39円均一のアイスコーナーがあって学生の頃は超お世話になりまくりだった。
初めに言っておくとセーブオンは今回の記事とはほぼ関係ないし登場もしないんですが……。もう無い「かつてあった場と時間」の話を書こうとしてるから概念というかニュアンスは近いかも、と思ってタイトルにした。
これ書き始めたついさっき、ブルスカで宝石の国の感想ぽいものを書いてしまったんだけど、やっぱり消してこっちにちゃんと加筆して書き写すことにした。「こんなとこに書いてないでしずイにでも移動するか ダメだね〜俺は」とか言ってさ。なんだこいつ。
手癖でSNSにダラダラ感想を流してしまうのを今後は出来るだけやめて長文が許されるこういう場でやろうと思ってるんだけど、長年染みついた習慣だからなかなか上手く移行できないよね〜。
数日前、「宝石の国が女子校っぽい」という感想を見た。そこから何日も遅れて自分の感想ぽいものがジワジワ湧いたので書く。こういうのって時差でくるな毎回。
めちゃくちゃ悔しいんだけど女子校の例えは正直「言い得て妙だ」と思った。いや、あんまり認めたくないんだけどな。ネットで見かけた他人の感想って自分と似た感性の人のモノを見つける時が度々あるけど「でもさあ、それを言ったらなんか色々と台無しになりそうじゃん。だから自分はあえてそう考えたりしなかったし、あえて言わなかったんですよ。でもわかるよ〜悔しいなあ、わかるわそれ」の感情になる。こういう時、なんかシュン……ってなりません?私はよくなる。だからあんまりネットで他人の感想を一気見したくない。疲れちまう。自分でそこに辿り着けなかった時とか普通に悔しいし。うわ、自分も時間かけてもっと考えてみたら良かった、自力でそれに辿り着きたかった、と思う時もある。SNS、知り合いとか知らん人とか関係なく基本薄目で見たほうがいいな、自分。
高校が女子校だった自分から見ても、あれが「女子校」って例えは、正直わからんでもない。似てるんだよなあ。
女子校ってそこにいる子たちのファッションや人間性が女子である、という話とも少し違うと思っている。女子校は「女の子が集まっている学校」という事実情報のみの言葉では表しきれない、それとはまた別のコミュニティという感じがしている。「女子校」っていう一種の村?区画?集まり?群生?概念?みたいな。ある一種の「場」みたいな。あくまでも超個人的な感覚かもしれないけど。
宝石の国の世界、あそこは確かに女子校の中にあったぬるま湯のような優しさを思い出す。あの頃感じた優しさや穏やかさをジワっと思い出してしまう。他人の変化にもある程度寛容だし、当然激しいイジメもない。ハブも集団無視もあんまりしない(あんまりしないだけで、ちょっとはある)。でも周りの人をゆったりと気にかけてる人が多い雰囲気。みんな、だいたい良い子。先生にほんの軽口は叩いたりするけど、激しく反抗もしない。反抗する理由がそもそも無いからだろうけど。ほとんどの人たちが輪を乱したりしない。平和。こう書くと何も悪くないんじゃない?読んでる人もそう思う?
彼ら(宝石たち)は自分たちの中で導き出した一番最適だと思う優しさや善性を維持しながら都度話し合い、のらりくらりと集団が納得できる理由を作ったりして「完全に1人ぼっちの誰かを見離してないですよ」という状態を守る。まあ、それでも実は上手いこと誰かをひっそりと群れから遠ざけたり、切り離したりしているんだけど。でもそれを冷たいとも言い切れない、あの感じ。決して悪ではないし見捨て切ってはいないから非道な人たちでもないし。勿論あの場ではほぼ皆が決まった事に納得していて、そこには激しい亀裂は生まれてないし、強い負の感情もない。穏やかなんだよな。
……なんかちょっとだけ嫌味みたいになってますけど本気で嫌味として言ってるつもりはなくて、そうして維持されてる場やコミュニティはやっぱり穏やかだし、そんな場が現実にいくらでもある。そこで癒されて立ち直れる人だっている。私自身いくつも見た事がある。ただただ「現実にもあるよね〜」と思っている、っつう話をしています。私が自分で書いたこれを後からまた自分で読んで「それね〜」とか「自分はこんな風に考えてたのか」と言いたい気持ちがデカい。誰とも宝石の国の話をしたくないので。こえ〜よ、人と好きな作品の話するのが。だから自分に話しかけるつもりで文字に起こしている。マジでずっとそうやってる。見られても良いけど、自分と似た受け皿の人に見られるなら載せてやっても良いよ、って気持ち。他人が私の文章を読めるのは、当たり前じゃないですからね。私がこれ書いて「公開しようかな」と意思決定しないと読むことさえも叶わないんですよ。これを書いて自分と違う考え方の誰かの心を変えたいとか、何かを論じたいとかもマジで無い。あ〜そうか、私はあの物語を読みながらそんな事を考えていたのか……今知りましたよ……って感じ。そういう整理の場としてネットおよびブログを使っています。どうぞよろしく。
話を戻そう。すぐ脱線するンゴねぇ。
自分たちの善性を守るためには、当の自分たちが同族で仲間の誰か1人を排除する事なんてとてもじゃないけどできない。だから「その人に合う役割」を作って仲間であることを維持する、みたいな。同族を仲間の1人として自分たちが見放していない方が、彼らにとっては自分の心が健やかになるし、大事なのかも。なんてね〜。誰も見捨てないし優しい世界で平和。そうかも。ふーん、そうですか。
でも私はその寛容さとか優しさが途端に冷酷に感じる瞬間も普通にあると思ったし、それを何度もピリピリと感じてしまうのは、きっと自分があの宝石の人たちのように集団の中の「穏やかな群側」に入れたとしても、あんまり上手に立ち回れない人間だからじゃない?何度もいうけど今読んでるあなたに向けてこの話をしてないです。私は今、私に向けてこれを書いている。この感情を世界中みんなに向けてデカい声で伝えるほどの強くて激しい理由も今は思いつかなくて、ただ宝石たちの営みを見ていただけの部外者なんですよね。それが俺ってワケ。それを見せてやってるだけだから、勝手に見に来て何か言われても……って思う。ネット、ムカつく(突然キレないで)。そうだよな、俺〜。なんつって。
この感覚、懐かしいね〜。高校の女子校時代に感じていた、あの頃の「平和で優しい場所だな、ここは。環境も別に劣悪ではないし、むしろ快適。周りの人たちも言うほど嫌いじゃない。楽しい時もある。でもなんか違う。気を抜くと無色になっちゃいそう。だから空とか山とか遠くを見て周りの環境から意識を外さないと消えそう」みたいな感情を思い出した。感情を思い出したというだけで、あの物語の人たちや環境が私の過ごした学生時代のようだった訳ではない。でもその感情を思い出すということは、その頃の場や環境に近しいものが宝石の国の中に混ざっていたのかもしれない。
これ書いてて気づいた。また話変わるけど、もしかしたら私はSNSの事もここ数年かなり「なんか女子校みてえだな」と思っていたんだろうね。だからなんか、ずっと座りが悪かったのかも。
話を戻そう。
フォスみたいな人ってどこにでもいそうで居ない。現実には、というかSNSをはじめとしたインターネットにさえ、フォスのような人は居そうでいないよ。自分をフォスに重ねる人やフォスのようになりたい人なら沢山いるかもしれないけど。でもフォスは他人に自分を見たりしない。誰かになろうともしてなかった。フォスはずっとフォスだった。いくら体と心が変わっても、その時のフォスだった。周りの人が勝手に「◯◯っぽい」とか言ってただけ。だから好き。あそこまで突き抜けて変化していって心と体を粉々に砕きながら自分を削り落として星に変わっていく人なんて見たことない。綺麗だった。やっぱり出来ないよ、あんな生き方。マジで綺麗だった。好きだぜ、マジで。あの世界で生まれたら私はフォスと友達になりたかった。
腰を据えた群とか集落から抜けるには、他者とのぼんやりした繋がりへの執着よりも、たとえ1人になってでも自分という個を消したくない、自我を守るために自分の内側から生まれた決意と覚悟が必要だと思っている。孤独の方が好きだから孤独のほうが良いとか、ただ孤独になる事だけを一番の目的にした生き方じゃなくて、成したい事のために生きていたら孤独ってやつは付いてきちゃうのかもしれない。孤独、かわいいやつめ。孤独というやつは一人ぼっちの奴が居ないと存在できない概念なのにね。あいつは勝手についてきちゃうのよ。「孤独」とか呼ばれているのに。
フォスのような人(パパラチアとラピスラズリはフォスとは少し違うけど、近いか?そうかも)は、自分の置かれている場があの世界のように他者に対して大らかだったり優しくて穏やかさがある人に囲まれた環境だろうが、なんだか座りが良くなくて。彼らは自分の中の違和感を見なかった事にもしないし、自分の中で何度も何度も何度もその違和感を触ったり解読して、その正体を考え続けることができた人なのかもしれない。「かもしれない」しか言えないけど許してくれよな。正直わかんねえよ。だって私はただの読者であって作者ではないし、フォスでもないしパパラチアでもないしラピスラズリでもない赤の他人なんだから。
彼らの中に、静電気をピリッと感じてるような違和感があったとして、その小さな心地の悪さが一定ラインを越えた時、その場所がいくら「自分にとって悪くはない場所」であろうが、軽やかに遠ざけたり手放して、1人でも場を抜けていけるような人たちだった。私にはそう見えてただけで、作者がそれを意図してるのかは全然わからん。だからこれは聞き流してくださいね。頼みますよ、みなさん……。
初めからずっと1人だったのは別にフォスだけじゃなくて、どんな人であろうと、たとえば自分のまわりに自分を大事にしてくれている人がいようがいまいが、それとは関係ない個の中の孤独というものが始まりから終わりまで常にあるのだと私は思っている。これに近い話を立川談志について話していた回の爆笑問題カーボーイ(ラジオ)で聞いたことがあって、そこから「その人だけの孤独」というものについてああでもないこうでもないと時折考えている。
ていうか宝石の国を落語にしてくれる人いないかな。マジで見たすぎる、宝石の国の二次創作落語。創作落語でもない「二次創作落語」ってあるのかな。同人落語。私は落語にも落語の界隈にもそんなに明るくないしラジオを通して聞いた落語の知識しか無いのでわかりませんが。
話を戻します。
市川春子はフォスでありパパラチアでありラピスラズリなのかなぁ、とも思った。少し離れて同族を見るようになった人。かっけ〜。
「ただその場が嫌だから抜けたい」「こっちのほうが良いから移動しよう」というのと、意志を持って「ここは違う。立ち去ろう(離れよう)」というのは全然違う。フォスは自分の容れ物が固まりきってないのに中身の衝動だけで前に前に進んでああなってしまったのかも。でもさぁ、それが若さってやつだよな。まぶしいよ。
やりたい事や知りたい事の衝動のために場を離れようと決めても、内側で分解しきれていない執着や未練があったらどっちにしろ離れた後でも場所や人に囚われる時がある。人や場から離れる事に対して自分の頭で何周も考えて、その選択に本当に納得してないと後からその未練がバケモンになって乗っ取られそうになる。未練と執着って時差があるほど超バケモンになるの、なんでだろう。チャージ期間が長いから?もしバケモンになりそうな時、周りに上手く引き止めてくれる人がいないと、多分もう戻れなくなる。怖い。
私はその、バケモンになるかならないかの分かれ道で何度も周りの知人や友人に引き留めてもらったり助けられている。だから今まで少しでも気にかけてくれた人たち皆に頭が上がらんのだ。
……みたいな、全然関係ない自分の過去のいろんな事まで宝石の国を読んだ後にポツポツ思い出したりしている。んで思い出しては改めてゾッとしたりホッとしたりしている。
女子校時代は確かに楽しかったし、まわりの人たちは皆優しくて、いじめとかもなかった。協調性もあって過ごしやすくて、全然嫌いな場所ではなかった。でもあの場所が楽園だったとは全く思わなかったし、あの場に居る時間がずっと続けば良いとも全然思わなかった。今でも戻りたいとは思わない。
なんか、どこかで読んだ占いに
"青春というのは「再現性のない場所」「その場所とその環境とそこにいた人がもう二度と揃うことがない」そういう場所や時間のこと"
みたいに書いてあった。うろ覚えだけど。自分にとって過去にいたコミュニティは全てそういう物の一つなのかもしれない。
今では高校の頃の同級生とはほとんど誰とも連絡を取らなくなってしまったし、専門学校の友人もごく数人しかまともに連絡取り合ったりしなくなっちゃった。かつて活動していた色々なジャンルの人たちとも時の流れと共にどんどん疎遠になっている。その現状に対して、そこまで寂しさも無い。ただの自然な時間の流れだと思う。
宝石の国の事を考えていて思い出した学生時代のエピソードがある。印象深かった思い出だから、自分のSNSでは何度か簡単に話した事もある。
私は高校生の頃、声楽部に所属していた。合唱部の事です。つまり女子校の合唱部。その声楽部の参加するコンクールの時に、私1人にだけその日のスケジュールの連絡網が回ってこなかった事があった。
その日は公欠で、朝は高校の最寄駅(とはいっても高校から徒歩で30分近くかかるし、電車通学してる生徒はバスで移動する人も結構いる)に集合して、そこから顧問と部員達で揃って電車で会場のある市外まで行くという日だった。
連絡網が回って来なかった私はいつも通りノコノコと登校した。教室に入ったら友人たちが怪訝な顔をして私を見て「あれ?声楽部って今日コンクールじゃないの?」と言ってきた。コンクール当日は日直が黒板の端に連絡事項として「声楽部はコンクールのため公欠」と書いていたので、先に登校していたクラスメイトたちは私が知らなかった声楽部のスケジュールを知っていたのである。
当の私は「ウソ!?ヤバ〜!!!!間違って登校しちゃったよwwww今から走れば間に合うかな!?!?wwwwww」とクラスメイトたちとデッカい声でゲラゲラ笑いながら急いで教室を飛び出した。
一年生の教室は二階で、その校舎の一階は施錠された非常出口と図書室(たしか)があった。図書室には司書さんもいたし、多少人の気配があったので、とりあえず一年生の教室と図書室までの階段の踊り場に移動した。爆笑しながら飛び出したものの、ぶっちゃけ普通にパニックになっていた。その後すぐに教室の方は静かになった。ホームルームが始まったようだった。
めちゃくちゃ静かな階段の踊り場でケータイを出した。校内では電源を入れてはいけないという校則があったからサイレントにしていた。ケータイには顧問から鬼のように着信が入っていた。慌てて顧問に電話を掛け直した。
声楽部の顧問の先生は女性で、私は結構仲が良かった。だから電話をする時も緊張はしてなくて、ただただ「迷惑をかけてしまった」という気持ちだけで頭がいっぱいだった。手がブルブル震えていた。すぐに出た電話口の先生は「どうしたの!?なにかあったの?大丈夫?」と声をかけてくれた。私は「今日がコンクールってしらなくて、そのまま学校に来ちゃいました!今から走って駅に向かいます!」と小声で伝えた。先生は「ええ〜!?なんで知らないの!?とりあえず、気をつけておいで!焦んなくて大丈夫だから!私たちはもう出発しちゃってるけど、会場の最寄駅で待ってるからね!」と声をかけてくれた。
初めに言ったとおり、駅までは徒歩で30分近くかかる。バスもあるけど、田舎なのでその時間には一本もバス停を通る気配が無かった。私の高校は崖の上に建っていて、駅は崖の下にある。長い長い坂道をひたすら下らないと駅には行けない。短くて急勾配の坂と、緩くてとにかく遠回りの坂がある。私は車で別の方角の山奥から通っていたので、駅側の道なんてほとんど通った事が無かった。短くて急な坂を初めて全力で走った。
教室ではなんでか笑っちゃったし先生と電話した時もハキハキ話せたけど、坂道を走りながら急にボロボロと涙が出てきた。連絡網がどうして回って来なかったのかを考えるより先に、自分がどうしようもないほど一人ぼっちである事を身をもって知ってしまったからだった。
一人ぼっちとはいうけど、友達がいないとかハブられてるとか、そういうのとは違う。子供の頃からずっとぼんやり感じていた孤独感の正体が少しわかったような気がしてしまった。そしてその時は「この孤独はこれから先もずっと自分にも他人にも消すことはできないんじゃないか」と思ってしまった。
今は長い時間が過ぎたおかげでこうして言語化できているけど、多分あの時はそこまで思考が整理できてたわけじゃなくて、走りながら真っ先に感じたものから真っ先に出てきた反射的な涙だったのだろうな、と当時の自分を振り返って考えている。
私は、なんとなく声楽部の同級生たちの中には馴染めてなかった。少し浮いていた自覚もあった。彼女たちとは普通に話せていたし、それなりに仲も良かったし、いじめられていた訳でもなかったし、別に無視だってされてなかった。でもコンクールの連絡網を私に回してない事を気にかける人は、あの子たちの中には1人もいなかった。これがステルス孤立である。うっすら気付いてたけど、マジじゃん!という、身をもってそれを知ってのショックも多分あったのかもしれない。
連絡網とはいっても、電話での連絡網ではなかった。顧問から連絡用のプリントが各学年の部員の1人に渡されて、それを皆に配るという形の連絡網だった。後から仲の良かった先輩からそのプリントの話を聞いて、私の分のプリントを音楽室の棚の上から見つけた。
コンクールについてのプリントが配布されたのは、私がちょうど歯医者で休んでいた日だったらしい。
一年生の部員達は私以外にプリントが行き渡ったあと、私が居ないことに誰も気付かなかった。一枚だけ余ったプリントが入ったクリアファイルを見ても余りだと思ったのか、置き場に困った誰かが他の資料や楽譜がまとめて置いてあった棚の上に放置したのかもしれない。まあ、これはあくまで私の推測なので、本当にそうだったのかは正直わからない。
坂道を全力で走って涙が止まらないままグズグズに泣きながら駅に向かった。ゴリゴリの文化部だから全力で走ることなんか無いし、案の定喉はゼーゼーいうし脇腹も痛くなった。泣いたせいで鼻水は出るし。コンディションが最悪なまま窓口の駅員さんに話しかけて目的地までの切符を買った。田舎すぎて親の車での移動が多かった私は電車に1人で乗った事もそんなに無くて、切符の買い方もわかんないし。親の車とバスの乗り方しか知らないから。
電車に乗って景色を見ていたら少しずつ落ち着いてきた。相変わらず悲しいけど、この時の私は同級生たちに対して「どうして誰も私を思い出してくれなかったの」「どうして教えてくれなかったの」とは、ほとんど思っていなかった。私も私で、彼らを蔑ろにしていた自覚があったから。私は彼らを無自覚に自然に蔑ろにしてたワケじゃなくて、「どうせこの人たちとは価値観が違うんだよね〜」っていう、見下してる訳じゃないけど「あえて距離を取るし、同級生と仲良くなくても先輩とは仲良いから別に良いや」という強がりを少し当て付けにしていた。ものすごい悪意ではないけど、幼稚なプライドとマウントが彼らに対しての態度の中に無かったとは言い切れなかった。だから「こうなったのも少し自業自得かもしれない」と思った。
歯医者で部活を休んだ日も同級生には誰にも連絡をせず、仲の良かったパートリーダーの先輩と顧問だけに連絡していた。一応同じパートの同級生にも連絡くらいはした方が良かったのだ。そんな自分は同級生たちから見たら「先生と先輩にはちゃんと連絡するのに自分たちには何も連絡しないし、なんかよくわからないけど頻繁に欠席する子」だったのかもしれない。仮にも同じパートの同期なのだから、最低限の連絡くらいはした方がよかった。自分は同級生たちにとって、居ても居なくてもどうでもいい人になってしまっていた。そもそも、自分たちに興味のなさそうな人に対して興味を持つような人は実際にはそうそういない。人ってそんなものだ。よっぽどの世話焼きな人でない限り。そんな奴をいちいち気にかける義理もないし、他人たちはそんな暇ではないのだ。私はみんなよりも家が遠いから皆のように休みの練習にも出られてなかったのだけど、そういう通学の事情も別に伝えてなかった。だから一部の人から見たらただサボってるやる気のない奴だと思われてたかもしれない。とか考えていた。
んで今この状態。惨めで悲しくて泣いた。
私の存在を忘れる同級生も酷いのかもしれないけど、そうなっても仕方がなかった気もするし、同級生達に怒る気持ちにもならなかった。置いて行かれて、でもこれはイジメでもなく、部の同級生たちには多分悪意もないし、それを自分もわかっていたし、当時もだけど今もこの事で怒ってるわけではない。
1人でしょぼくれて電車に乗ってる間、先輩数人から「気をつけてね!」と心配するメールが届いた。先輩達は連絡網について知ってたのかわからないけど、一年生みんなが私に対して意地悪をしたくて連絡しなかったわけじゃない事も把握してるような感じだった。当然だが、同級生たちからは何の連絡も無かった。そういうやり取りをする程の関係性のある子は居なかったので、「そりゃそうだよな」という気持ちだった。
駅に着いたら先生と部長が真っ先に迎えにきてくれた。私はこの場がシリアスになるのが嫌だったから「いや〜うっかりしてましたよ〜!間に合って良かったですww」といつも通りヘラヘラした。でも部長と先生と先輩は私だけ連絡網が回って来なかった事も知ってたから「とにかく間に合って良かった!」「全然大丈夫だよ!」と声をかけてくれていた。私は反省してるのに、先生と先輩は慰める空気だったから会話があんまり噛み合ってなかった。同級生達は気まずそうに遠くから私を見ていた。私は比較的話をする仲だった子達に「コンクールの日勘違いしてたわ〜ww今日だったんだwwwゴメンゴメン」とか言いながら話しかけた。その子たちは「そうなん?朝来なかったから焦ったよ〜」とか、そんな事を言ってたと思う。
結局、連絡網のプリントの話は誰からも言われなかった。こういう時にイジってくれる人の存在がいかに有難いのかが分かる。
余談だが、こういう経験のおかげでバラエティ番組でやらかしたりスベッた芸人がいじられるのを見て、救われたような気持ちになる事がよくある。見る人によってはイジメに見えるかもしれないイジリも、実は救いのアシストである場合があると思っている。これ本当にパターン化ができなくて判断が難しいんだけど、イジリやバカにされる事で一命を取り留める瞬間というのが、マジである。まあこの時の私にはその救いの手(軽いイジり)が誰からも差し出される事は無かったので、ただヘタこいて慰められ、同級生たちにもヌル〜っと対応され(それに関しては彼らは全く悪くない)、「そういう事をしただけの人」となり果て、人知れず心が折れましたが……。
ちなみにコンクールの日はローファーで来るように指定されていた。私は当然そんな事知らないから普段履いている黒いハイカットのコンバースだった。しかもレースの靴紐でアレンジしてるコンバースね。アメカジが流行ってた頃だったから。他の学校の人に借りる?という流れになったけど、知らない人に靴を借りるための交渉をするほどの精神力はもう無いし、事務局に聞いたらそのまま出ても良いという許可が出たので結局私だけコンバースで出る事になった。私以外の全員が正装のローファーを履いてるなか、私は1人でレースの靴紐通したハイカットの黒コンバースを履いてステージに立った。「せめて少しでも目立ちづらいように」と、同じパートのメンバーに入れ替わってもらったから最後列になった。
この時、自分1人だけがみんなと違う靴である事に対して特に恥ずかしさもなく、道中の悲しさも消えていた。かといって自分だけが特別だ〜♪というような高揚感も無かった。ビビるくらい「いつも通り」に戻っていた。そう、私は今もそうだけどメンタルの立て直しはこの頃から尋常じゃなく早かった。
本番では「思い返せば今までも自分はこんな感じだったし、多分これから先もずっとこんな感じなのだろうな」と思いながら、案外落ち着いた心持ちでいつものように自分のパートを歌っていた事を覚えている。結果は銀賞だった。合唱コンクールをやった事がある人なら分かるかもしれないが、銀賞はほぼ参加賞である。金賞以外は意味がないのだ。別に凄くもない「普通の賞」。それが合唱コンクールにおける銀賞。今はどうなのかわからないけど、少なくとも当時はそんな感じだった。
この日の出来事を人に話すと「いや、でも同級生、普通に酷くない?」と言われる事もあったけど、自分にとって一連の出来事には妙な納得感があって、それからというものの人や場に対して割り切ったり案外あっさりと見切りをつけられるようになった。と思う。
これも余談だけど、この後にもう一つ部活で参加する合唱コンクールがあった。パートの振り分けは一応されていたものの、そのコンクールの課題曲の練習を何度かした後に「声量が多くて声質の関係で1人だけ妙に目立ってしまう」という理由から、私は合唱のパートメンバーから外されてしまった。合唱においてベンチ入りや補欠という制度はほぼ無い。そして合唱メンバーから外された私が配属されたのは、ピアノの横で楽譜をめくる「譜めくり」だった。先生もとにかく申し訳なさそうに話していたので、私はどうにか雰囲気を暗くさせまいと「いやいや、大抜擢ですね、全力で楽譜めくりますよ」と言うしか無かった。まあ、当の私も自分の歌声が周りから浮いていた事も自分の耳で聴きながら自覚していたので「ああ、やっぱりそうなんだ」と、それも納得していた。
たとえ音程が取れていて声が出ていても、合唱となると馴染めなくて全体の調和を乱してしまう歌声というのは、マジであるのだ。上手く馴染ませる事ができないのは、単純に私の技術不足でもあったのかもしれないし。めちゃくちゃ前向きに考えたら、爆裂に個性が輝きすぎて集団では目立っちゃうって事だし。周りに合わせると私は気持ちよく歌えないから足を引っ張るかもしれないし、かといって私が全力で個性的な声を抑えずに歌えば周りの良さをかき消してしまうわけで。歌まで人間関係の噛み合わせの下手くそ具合と似てるのかと思って、これまた妙に納得してしまった。
そのコンクールが終わった後、私は「家が遠くて周りと同じように活動ができないため」と理由をつけ、声楽部をやめた。それも事実だし。遠方から通うバスの定期ってめちゃくちゃ高くて、私は家計のために日曜日のみ使えない制限付きの少し安い通学定期を使っていた。日曜日の練習をする時は親に車を出してもらわないといけないし、わざわざ一山越えるための送迎をしてもらわないといけないから、親の負担も大きかった。そこまでして続ける程やりたい部活動でもないな、とスパッと見切りをつけた。
でも部員だった頃には顧問と先輩は私の歌を褒めてくれて声量や音程に関して評価も沢山してくれてたので、それだけはちょっと救いだった。超前向きだから「ここに収まる逸材ではなかったんだな、私は」と思うことにした。超ナルシストで草。歌も入部前よりは確実に上手くなったし。すべて納得した上での自主退部だった。
帰宅部になったら誰にも自分の予定を報告しなくても良くなったし、好きな時に好きな事に時間を使えるようになった。歌うのは好きだし楽しかったけど、放課後に1人で好きなように予定を立てて好きなように行動できる帰宅部が自分にとっては一番適正な部活だったらしい。めちゃくちゃ太鼓の達人にハマってゲーセンに入り浸ったり、待ち受けポエム画像のサイトを運営したり、Yahoo!ブログでプリ帳をデコるための素材を配布したりしていた。
ただ「合唱部の私」は居なくなったし、退部をした日で死んでしまったのだ。もう合唱を中心とした高校生活は、私には無くなってしまった。これから先もこんな風に自分の行き先を自分で考えながら、その都度選んで可能性を生かしたり殺したりしていくんだろうな、と思った。
まあでも帰宅部の学校生活は自由でちょ〜楽しかったナ、、、。
って話。
……思い出話まで書いたらものすごく長くなってしまった。
で、また話は変わるんだけど、高校生の頃の自分の理想の生き方はスナフキンだったんですよね。スナフキンが昔から好きで憧れてて……。
でも大人になった今の自分はスナフキンほど悟れてもいないし、彼のように各地を旅しているわけでもなく、彼のような哲学的で聡い事も特に言えんので、自分がこれから先もスナフキンにはなれない事を肝に銘じながら座りの良い自分をひたすら模索している。
子供の頃はめちゃくちゃセーラームーンになりたかったし、二十代の頃はムーミン谷で暮らしたいとかそういう事も思ってたけど、いつの間にか「あの人になりたい」とか「あの世界に行きたい」とか「こういう人になりたい」とか、そんな感覚がここ数年はなくなってしまった。定期的に自分の至らなさや情けなさに不甲斐なくて落ち込みはするものの、そこまで自分の事を嫌いになったりもしてない。自分が一番かわいい!!!!大好き!!!!って訳でもなく。自分以外の何かになりたいっていう気持ちが湧かなくなった。とはいっても、現状めちゃくちゃ幸福で恵まれてる環境という訳でも無いです。なんならここ数年は人間関係でも親族関係でも経済的にも一般的な環境に比べたらとんでもなく酷い目に遭ってる。でも今は自分になんとかしがみついている。……いやこれ、普通にナルシストかもしれん。もしかして前向きすぎてキモいか?
ただ思った事を書いた。宝石の国を読みながら「もう戻れない時間」に思いを馳せたり「これからも自分にしがみついていくか〜」という気持ちに着地したなぁ、という話でした。ン〜〜〜読み返したけど何が言いたかったのか謎。途中の思い出話は一体なんだったんだ。
結局ネットの自分はブログや個人サイトの日記で育ったから、なんだかんだでSNSだと窮屈なくらい長文型のインターネット人間なんだよな。長文書くの好き。
てなわけで、今日はもう書くことなくなったから今回はこれにて。またね〜。