私はガラクタや雑貨を集めるのが好きだ。
よく公園に散らばっていたBB弾の中から、透明のBB弾を見つけ、喜んで拾って瓶詰めにした。
形のよくて帽子を被った少し青みがかってるどんぐりを拾っていた。(後日真っ茶色になっているが)
学校の教室の床の隙間に挟まっていた、誰かが図工の落としてそのままになっていた小さな勾玉ビーズを、掃除の時間にこっそり名札の安全ピンでほじくって手に入れた。
校庭でやたらキラキラ反射する砂があるのを見つけて、近づいて拾ってみると立方体の綺麗な形をした紺色の粒だった…。
そんなことを今でも覚えている。
年齢が上がるにつれて、使えるお金が増えていくと、欲望のままにいろんなものを買っていった。
百均に売っていた透明なダイスを手に入れた。
コルク栓の空き瓶をやたら集めていた
駅の地下街にあった古道具屋さんで、レトロなラムネ瓶に一目惚れし勢いで買った。
手芸屋さんで切り売りされている綺麗な糸を最低の長さだけ買い、コレクションした。
北海道に修学旅行に行った時に飾ってあったステンドグラスのランプが忘れられず、その数年後に旅行で同じ店に訪れたところ、まだ売ってたので速攻で買った。
板締め絞りの端切れの部分が、すごく綺麗な青色だったので買って棚に飾った。
今でもトルコガラスビーズをちまちま買ったり、好きなクリエイターさんが出店しているイベントに行って画集やステッカーをゲットしたり、蚤の市に行くなど、少しずつ一目惚れした物を集めるという行為は続いている。
私の中で、既存のものと被るものは絶対に買わない…と念じながら世界を歩いているわけだが、無駄遣いをしないように脇を締めがっちりガードしていたところをすり抜けて、私の前に現れる逸材が度々出てきてしまう。
そのため、泣く泣く私はお金を支払い満足げに懐に収めるのだ。
雑貨は役に立たない物だし、二の次にすべきだということを頭でわかっていたとしても、私は目が向かってしまう。
心に強く刺さる物をつい探してしまう。雑貨というものにあまりにも囚われている。