こんばんは、たまごです。
昔からフォローしてくれている人は知っているかもしれませんが、2021年の4月から9月まで職業訓練校のDTP科に通っていて、在校中に内定を頂いた会社で現在も営業事務として働いています。DTPとは?という感じだけど、「デスクトップパブリッシング」の略で、印刷物のデザイン、レイアウトを編集して最終的に版下を作成すること。初心者でもAdobeソフトを使いこなして、これらを職業とするDTPオペレーターを目指すコースにいました。3年前のことなので現在はオペレーションが異なっているかもしれないけど、勉強していたことと違う職種に就いたことを含め、ふと思い出したこともあり今更ですが書いていきたい。
お金を貰いながら学べる
前職は営業職でした。コロナ禍だったので失業者が増える中で手に職をつけるのがよい!みたいなことをSNSで見て、長年イヤイヤ続けていた営業を辞めるならこれしかないと思い前年の年末ぐらいから退職の段取りを進めました。職業訓練には公共職業訓練と求職者支援訓練という2つの制度があって、前者は国・都道府県が運営している学校に通い、後者は民間に委託している制度なので各地にあるスクールに通います。冒頭に書いたDTP科は公共職業訓練でお金をもらいながら通えること、また仕事でイラレを扱うことがあり職業への理解が自分なりにあったので選択。求職者支援訓練の方がオフィスワーク系の科目が多くて魅力的だったんだけど、倍率が高そうだったのと給付金の受給対象にならなかったのでやめた。1ヶ月10万近くがあるかないかは大きいよ。
27歳のハローワーク
志望する科目が決まり、最寄りのハローワークに行って相談に行った。職に困った人間が行く場所なのでとても雰囲気が良いとは言えなかったが、はじめてで職業訓練校の募集をネットで見て...と言うとすぐに案内してくれた。当時は在職中だったので合格したら仕事はやめること、あと科目の適正や労働の意思を確認され申込は完了した。
選考日には定員の30人に対して40人に近い人がいたものの、筆記試験の国語と数学もそこそこ出来たし、面接も志望動機など概ね予習していたことを質問された。若いんだからここに来なくても就職できるんじゃない?って聞かれたときはそうっすね...となったが、それ以外は特に解答に困るような質問はなく普通に合格した。マジでなんて答えれば正解だったんだ。
束の間のモラトリアム期間
話題が逸れるがこれも記しておきたい。3月中旬に退職してから入校するまでの3週間はそれはもう素晴らしかった。税金関係のやらなきゃいけない手続きが適度にありつつも長いこと平日の連休も取っていなかったので、土日は混んでて行きづらいところにランチに行ったり、美術館や裁判傍聴に行った。平日昼間に会えるような知り合いもいなかったのでほぼ1人で過ごした。思いつきで高尾山にも登ったが、登山初心者が気軽に行けることもあり特に人生観が変わることはなかった。
新生活
無事に4月を迎えた。簡易的ではあったが入学式もあり、履歴書の空白期間も埋めれてお金をもらえるなんて最高だな~~と少しワクワクもした。
名簿順で割り振られた席に座り教室を見回すと、6:4で女性陣の方が多く、20代から50代まで年齢層はまばらだった。隣はスキンヘッドのおじさんだったのでこんな人選考会にいたっけ??と身構えたが、話すと優しそうな人で安心した。自己紹介になると、コンビニ、ネイリスト、エステティシャン等様々な職業で働いていた人がいて、コロナで雇い止めになったと言っている人もいた。
オリエンテーションでは学校生活とは何ぞやということを叩き込まれ、セクハラパワハラの注意喚起、日直や放課後の掃除当番。職業訓練校らしいものでいえば、全カリキュラムのうち2割以上の欠席で強制退校になるというもの。ここで注意しないといけないのが、病欠や就職活動で休んでも同じ1回の欠席になり、終盤までにある程度のストックを溜めておかないと自分の首を絞めることになる。これはコロナ感染も例外ではなく、休みについてはあまり寛容ではないようだった。
クセ強講師陣との対峙
通常授業がはじまり、座学では色、印刷について。PCを扱う授業では画像補正やオブジェクトの変形など、基礎中の基礎から徐々にペースは上がっていった。また、HTML/CSSのコーディングやOffice系の授業もあり、こちらも提出書類や宿題があったので最早働いていた方が楽なのでは....と思うこともあったが、グループワークもあったことでお互いの素性が分かり慣れも出てきて助けてもらうことも増えてきて集団学習ってこんな感じか!と勝手に懐かしくなった。
講師はその界隈では有名な方も多く、不明な箇所があれば自分のモニターまで来て手取り足取り教えてくれた。しかし、InDesignの講師だけはこんなものは分かって当然かのように授業を進めるので最後まで好きになれず、みんなはあの人はああいう人だから〜〜(笑)と流していたが、このクソ老人におれたちの税金が投入されているのかと思うとやるせない気持ちになった。
翻弄される日々
通常4月入校のコースは8月の第2週~第3週に夏季休暇が設けられるが、この年はオリンピック開催期間(7/23〜8/8)に前倒しされるので、7月になると授業のペースが慌ただしくなった。既にコロナ禍でいくつかの校外活動が制限されていたが、相当の勉強時間がカットされていたのかもしれない。この辺の記憶は少しあいまいなのだが、当時のツイートを遡ると開会式の2日前から休みだったようだ。
恐ろしいことに無職期間を謳歌しすぎてこれぐらいの休みは何とも思わなくなっていたのかもしれない。コロナで絶賛行動制限期間中ということもあり、特に遠出をすることもなくオリンピックを楽しんだ。生きてるうちにまた日本で開催されることはあるのだろうか.....
これだけ休みが続くとまた学校行けるのか不安になったが、すぐに9:00-16:45の時間割に身体は適応した。夏休み明けの授業はポートフォリオの作成とグループワークで卒業制作となる1冊の本の作成がメインとなってきていた。ポートフォリオと言っても訓練校で作っている制作物は同じなんだけど、こうも見せ方が違うのかと他人の作品を見て感動した。この頃になると会社説明会への参加を促す声や「就活」という単語が周りから出始めてきて若干焦っていた。
再就職へのカウントダウン
このままだと労働に殺されると思い、自宅で横になるとあ゛~~~~~~~う゛~~~~~~~とうなり散らかしていた。そんなことをしても金は降ってこないので教室のホワイトボードに貼りだされた求人を見たりして社会復帰への道を探っていた。新卒就活の時はもう少しピュアな心を持っていたはずだが、面接練習や履歴書添削で働きたくないのに働きたいですと言う&書く日々で気が狂いそうになっていた。また、訓練校に斡旋される求人の多くが、所詮実務未経験のひよっこクリエイターの採用にすぎず、月給18万~20万はザラで賞与なしとかも存在した。その中でも年齢制限による足切りもありベテランたちは頭を悩ませていた。自宅から通うには遠いなあと思ったり、働かない理由を見つけることには一流であったが、就職活動とはこんなもんであると言い聞かせた。
偶然の答え
DTPオペレーターとしての就職は早々に諦めた。業界の給料水準は薄々と気づいていたので、思い切って飛び込めなかった自分の逃げと言われればそれまでである。気づけば卒業まで時間がなかったので、転職サイトも駆使して事務・経理・総務を中心に探し2社内定をもらった。最終的にはWeb制作会社の営業事務にすることにしたので担任にはよくそんな求人を見つけたねと言われた。学校としても就職実績を上げなければいけないので特に相談をしてなかった自分に対し、こいつは本当に就活しているのか...?と心配してくれていたようだった。ちなみにもう1つは簿記3級を持っていたことを飼われて経理の採用だったので、これはこれでよかったかもしれない。
さいごに
マイナスプロモーションなことばかり書いてしまったが、幻想を抱きすぎなければ、これらの要素を加味してもレールを外れた人間が学び直して再スタートを切るには持って来いの場所だし、普段絶対交わらないであろう人たちと過ごした6か月は濃密で楽しかった。今は倍率も比較的落ち着いてるし、もしかしたらいい求人が入ってるかも!ま、それぞれにキャリアやバックグラウンドがあるので焦らず生きようね