現在の東京の街では本当に輸入車をよく見るけれど、私が育った1990年代の千葉のあたりでは、メルセデスやBMWは勿論、フォルクスワーゲンやオペル(昔よく走ってましたよねえ)でさえ、かなり趣味性が高くて特別なクルマと見做されていた。「○○さんの家に△△が停まってた。羽振りがよいのねえ」といった様に。
日本車のクオリティが上がり、輸入車を見る目の解像度もあがったことで、輸入車も各国でのブランド毎の立ち位置があることを我々は知っている。ジャーマンスリー以外のブランドはまあキャラクターは違えど庶民のクルマだよね、という理解ができるようになったと思う。そういう前提をもってトゥーランに乗り換えた(前車はCX-5でした)のだけど、わたしみたいに平凡な感覚の持ち主に言わせると、事前に思ってた以上に、特別言及するような特徴ってないんだよねえ。乗り換えて一ヶ月後にタイヤを変えたことで、何がクルマの差なのか本当に分からなくなった。
そういう意味では、トゥーランの特徴は「ドイツ車ですよ、フォルクスワーゲンですよ」というところにはなく、外見だったりパッケージだったり、いわゆる走る曲がる止まる以外のところにあるのだと思う。(あ、でもディーゼルエンジンを載せてるところは、こういう書き方をすると例外になってしまう)
「低ルーフで非常用の三列目シートを備えたミニバンで、普段はワゴンとして使える」というパッケージは、かつてあったトヨタ・ウィッシュ、ホンダ・ストリーム&ジェイドが一世を風靡しつつ、スライドを備えたラフェスタ、アイシス、プレマシーを巻き添えに全部シエンタとフリードに収斂させてしまったもの。今はトゥーランとBMWの2シリーズグランツアラーのみが残っている。トゥーランへの乗り換えを検討したのが、ちょうどシエンタがモデルチェンジしたタイミングで、勿論色々調べた。結果、トゥーランに求めていたニーズを確かに完璧に満たしていて、これはカテゴリー消滅するわけだと妙に納得した記憶がある。
ただですね、ただ、世の中の一部には「ちょっと不便なものを意味ありげに使ってる人」を格好いいとする文脈があるのですよね。他方でズドンと実用性ど真ん中が本当の実直さであり格好良いのだという人もいる。後者の意見もかなり的を射ているのだが、カテゴリーとして実用的なファミリーカーにおいて、更に実用的であることを突き詰めてしまうと、クルマが好きだなという気持ちも失ってしまう気がして、そうしてたどり着くのがロールーフミニバンではなかろうか。シエンタ・フリードより幅が広くて、ノアやセレナよりも背が低い。中途半端なカテゴリーだから、実用性だけを突き詰めると消滅するし、国産車は戦いづらい。輸入車だけでこのカテゴリーが生き残ってるのは、そう考えると自然なのだなと思う。