考えてること(2024/05/11)

昨日ふと目にしたことがきっかけでアンテルナショナル・シチュアショニスト(というかドゥボール)について調べ始めた。最初は「漂流」概念がウォーキングシミュレータっぽいな、という直感めいた感覚に導かれてのことだったが、この論文を読むに至ってISとゲームという視座の有効性を確信した。たとえば、Bitsyというツールが作られ、そこにある種のスタイルができていることは、小規模なツールを作ることによる「状況の構築」とも言えるのかもしれない(参考:Solo-Devs and Risk-Takers (An Artistic Exploration of Experimental Tools))。domino clubなんかのゲームジャムもある種の漂流と言えそうな……どうかな。

ところで、hatenaブログにある「漂流の理論」訳者解題によると、同文初出の『裸の唇』には「2つの漂流報告」も載っているらしい。内容は「パリ5区のグザヴィエ・プリヴァス通りのアルジェリア人のバーを起点にして、バーの中や路上で次々と不思議な人物や場所に出会うというもの」らしく、なんだかもうこのままゲーム化できそうである。

メモ代わりのリンク集:

「漂流の理論」 フランス語 英訳 日本語訳

2つの漂流報告

Introduction à une critique de la géographie フランス語 英訳

野上貴裕、「シチュアシオニストの「日常生活」論」、『Phantastopia』、vol. 2、2023年、p. 249-267