昨日川谷絵音pre.独特な人という舞台を観に行ったことを日記に書いた。※ここからはネタバレと自己開示みたいなことを書くと思う。
今回演劇を見に行った理由としては、indigo la Endというバンドが高校生の頃からずっと好きで、その中のメンバー(川谷絵音)が演劇をするなら見に行きたいという気持ち、人生経験として自分のお金で演劇を観に行ってみたいという気持ちによるものだった。(学生時代修学旅行で劇団四季の演劇は見たことあったけど、あんまり覚えてない。)
事前の告知をあまり見ず、題材をあまり知らず、見に行った。感想としてはあんまり面白くなかった。理由は、題材が恋愛リアリティショーだったから。あいのりから始まり、テラスハウス、バチェラー、とか色々とコンテンツが溢れている。好きじゃないことはわかっていたけど、食わず嫌いは良くないと思って、数年前あいのりを1シーズン通してみたことがあった。ゲロ吐きそうだった。クソほどつまらな過ぎる。知り合いや友人は面白いと言って、恋愛リアリティショーのコンテンツを全て見ているらしいが、面白さが全くわからない。胡散臭さといい、駆け引きみたいなものといい、私にとって胸糞悪くなる要素が溢れかえっている。そもそも知らない人の恋愛模様なんてクソほどどうで良くてそれを見て得られる物が何かわからない。だったら、NHKのピタゴラスイッチのビー玉が落ちる動画永遠に見てるほうがいい。そもそも生まれてこの20数年、この世にある物事で恋愛が一番苦手で、一番近寄りたくなくて、一番要領が悪くて、不気味な存在だと思い続けている。理解しがたいことしか詰まっていなくて、常に変動し続ける株価かよって思ってしまう。勉強は得意じゃないけど人並みにはできてて、運動は競技にもよるけど人よりはちょっとできてて、人付き合いはうまくはないけど親しい人は数人いるという、可でも不可でもなく、メンタルは調子が常に悪いけど誤魔化して誤魔化してなんとかここまでやってこれた。人に惹かれることはあっても寝て起きたらどうでも良くなっていて、そもそもこの人に割いた労力が見返りとして返ってくる保証もなく、この人との関係が永遠に続く保証もなく、だったら頑張る意味とは?と考えてしまうような人間だ。友達になるための、友達で居続けるための努力や人に向ける優しさはもちろんある。人として好きな人(ラブではなくライク)には優しくありたい。出来ることはしたいと思う。でも恋愛は頑張れない、優しくなれない。元彼とも方向性の違いで解散した。私はとにかく感情論で訴えてくるやつが嫌いで、元彼は感情論でどうにかしたがるやつだった。男っぽい女と女っぽい男で、うまくいくはずがなかった。そもそも好きじゃなかった。これまで好きな人はいたことがあったけど、その人を私が幸せにできる技量もないし、認めてもらえるほどの容姿はなくて、結局諦め続けて、手元に残ったのは現実逃避するための多数のコンテンツで。それで仕事になったこともあるけど、好きで居続けられるのは、誰の感情にも左右されず、自分のペースで好きで居ていいものだけなんだと気づいた。誰にも迷惑がかからず、いつ嫌いになっても許される。全て自分本位でいられる、そんなものしか好きで居られない。
認められたいけど、好かれたくはない。見返りは求めないでほしい。連絡はしないでいてほしい、だけど気にかけてほしい。そんなワガママばっかりが募って、どうしようもなくて、諦めた。
不自由なものを楽しむ余裕は今の私にはない。目の前にあることを淡々とこなすふりして、それだけで精一杯で、今の自分に足りないものを補うために動くのが精一杯で、他人なんて到底入れる隙間なんてない。とにかく一人で強く行きていくために、お金だ!!!!という、やっぱり物に対する執着が強い。物はいい。努力する方向性が分かりやすい。欲しいものがあればネットで探したり、お店を巡ればいい。人に好かれたいと思ったら可愛くならないといけない。可愛くなるって?バカみたいに世の中に溢れたコスメから自分にあうものを探して、似合うメイクを見つけて、似合う髪型、髪色を探して、似合う服装を見つけて?やること多すぎる。それをすることを努力と言うんであれば、それが普通であるなら、その市場から私は降りたい。好かれるために生きるのではなく、自由気ままに困らず生活をしたい。やっと解放された親からの干渉と束縛の生活、ちょっとずつ許せるようになってきた自分のだめなところ、これ以上がんばる精神力が本当にない。朝起きてご飯を食べ、仕事へ行き、バランスの良いご飯を食べ風呂に入り、歯を磨き、日付が変わる前に寝る生活すらもままならない精神状態なのに。
今日も約束を守れなかった。こんなに頑張りたいのに頑張れない精神状態がしんどい。
こんな物を書いているの5時に、起きているのも数ヶ月前の私には想像もできなかったな。ちゃんと眠ってたもんね。