2024.3.16

fujikana
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市長選。期日前投票に行ってきた。昨晩はオンラインで、「市長選を楽しむ場」というのをひらいて、市政ウォッチをしている友人の話を聴いたのもあり、投票用紙に名前を書きながら、「これで終わらせねえからな」「ウォッチし続けるからな」という、闘志?のようなものをメラメラさせ、投票箱に炎を突っ込んだ。

市役所からの帰り道、野菜の移動販売をしている友人にばったり会う。「期日前行って来たんですよ」という話から、市政の話になり、ちょっと話し込んだ。あと、パレスチナの話も。歩いてきてよかった、と思った。車で投票に行くか迷ったけど、今日は歩きたい気分だったので市役所まで家から40分ほど歩いたのだ。歩くから、出会う。「本屋って、大事なことを忘れないためにあると思うんだよな」話の流れで知人が言った言葉が身体に残った。大きくて甘い人参をひとつ買った。

それから、またてくてく歩いて、電線の鳥さんへ。3年ぶりくらいの訪問。家を改装して本屋&カフェにしている場所だ。昨日買った、「穴と境界」についての本を読む場所を探していた。お腹がすいていたので、おにぎりを頼んで食べる。丸いおにぎり二つ、めちゃくちゃ美味しかった。おにぎりを食べるといつも「食べ物の中でおにぎりが一番おいしい」と思う。ほかにも美味しいと思うものはあるのに、手作りのおにぎりを食べたときだけ、必ずそう思う。店主と、市政の話とか、やっぱりパレスチナの話もした。てくてく歩くと、誰かと政治の話をするのだ。街で政治の話が気軽にできない、とモヤモヤしていたけど、ただ、わたしが出歩いてないせいでは? 車をやめよう。歩こう。市政の話から、イオンモールの話になって、イオンモールって人が集うけど、あそこって、人と人が出会う場所じゃないんですよね、あんなに人いるのに。と話していたら、店主が「不足はないんだけど、嬉しくはないんだよね」と言ってて、そうそう!と頷いた。そう、嬉しい場所が、足りない。それが寂しいし、正直結構、きつい。美味しい、綺麗、上手い、そういうことよりも、嬉しいかどうかを基準にしている。正直そんなに美味しいとは言えないけど好きな喫茶店がある。食べながら「そんなに美味しくはないんだけどな」と毎回思う。でも、嬉しいのだ。ずっと続いてきたその喫茶店の雰囲気が積み重ねている時間や、そこの夫婦とのやりとりが。もちろん、美味しくて行く店もある。でも、美味しい=嬉しい、と思う店だ。素材と向き合って丁寧に作られているお店は、美味しいし嬉しい。嬉しいってなんだろうな。命が喜ぶ感じ、生きていることが祝福されているような。そういう場所と時間が、どんどん減っている。好きだった近くの商店は、インボイスを機に閉店した。たまに驚くくらい安い値段で野菜が売られていて、賞味期限切れの食材にはマジックで日付を消して販売し、適当に値引きしてくれるお店。猫がいた。品揃えが対して良いわけでもないのだけど、レジでおばちゃんと話すのが好きだった。結局本は読まずに、3時間くらい電線の鳥でお喋りしていた。カリウスマキの「枯れ葉」を今日の夜上映していると聞いて行こうかと思ったけど、外は寒くて、上着を羽織らずきてしまったので、そのままてくてく帰宅。

帰ると、シェアメイトのMちゃんが庭で何かを取っていた。ふきのとう。蕗味噌をつくる、と言っていて、わたしも3つほどふきのとうを土からほじって収穫した。Mちゃんとそれぞれ蕗味噌を作り、わたしは玄米おにぎりにねじ込んで食べた。今日はおにぎりを食べてばかりだ。Mちゃんは蕗味噌にクルミを入れていて、これはハード系のパンとも合うのでは? と盛り上がり、Mちゃんが持っているカンパーニュを焼いて、蕗味噌を付けて食べた。蕗味噌おにぎりも、クルミ蕗味噌をつけたカンパーニュもうまかった。

嬉しい、というのは、こういう時間だよな、と思った。