2024.3.21 初、仏彫会 

fujikana
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〈言葉と付き合い直す実験。今日は、特定の一人(もう連絡先も知らない地元の友人)に向けて〉

今日な、地域のサークルみたいなやつで、仏彫会っていうのに行ってきてん。木を彫って仏像創る会やねんけど。わたし以外男性で、80歳くらいの人が一番多いかなあ。なんで入ろうと思ったかっていうと、今年から人形使った作品を創ろうと思っててな、ほんで人形のこと勉強するには仏像って結構ヒントになるんちゃうかっていう気がして。

“仏像彫刻は、西洋の彫刻とは異なり、「我」を無くすところから出発しています”

仏像彫刻の本にこうやって書いててんけど。これ読んで、人形や仮面の中でも自分が好きやなーって思うものは「我」のないところ(あるいはそれを超えたところ?)から出発してるものなんやって気づいたねん。

地域の仏彫会のことを知ったのは、去年の秋ごろのことでな。近所の公民館で自分がやってた企画の稽古しててんけど、窓口で書類の手続きしてたら、後ろからめっちゃええ声が聴こえてきて。誰や? ってあたり見渡してんけど、すんごい空間に響く声で、マイクでも使ってんのか?っていうくらいやって。キョロキョロしながら声の主をつきとめたら、車椅子に乗った高齢の方やってん。失礼やけど、え、こんな高齢な方からその響く声が?ってびっくりしてんけど、それ以上に気になったのがテーブルに並べられた仏像の数々。その人がもう一人の人に彫り方を説明してはってんけど、並んでる木の仏像、めっちゃ綺麗やってな。わーって見惚れてしまって、「めっちゃ綺麗ですね!」って声かけてしもて。その声かけた方が、仏彫会30年くらい率いてはる先生やってん。その日は、なんかたまたまトラブルがあっていつもの部屋が取れへんで、廊下の待合所で個人レクチャーをしていたらしいねんけど、もしいつものように部屋ん中でやってはったら、出会えへんかったってことやから、こういうのも縁っちゅうことやな。ほんでそんとき月2回その公民館で仏彫会っていうのやってるって教えてもらって、ずっと行きたいなーおもてて、ようやく先月見学行って、今日が初回。

今日はまず第一ステップってことで、板にレリーフみたいに救世観音像を彫るっていうのをやってきたわ。板に台紙を置いて、それに沿って周りの木を削いでいくんやけど、彫るの、案外性にあってるみたい。夢中で彫ってたらあっという間に時間すぎてもた。先生は、最初に会ったええ声の方ともう一人いはって、彫るにあたって大事なことを教えてくれるんやけど、

「中心が一番大事」

「無理をすると壊れる」

「木目を見ながら方向を決める」

「一度に行こうとしない」

色々言うてもらう言葉に、いちいち、人生?って思いながら聞いてたわ。彫るんに用意してもらった木は、木曽の業者さんから仕入れてるもんらしくって、ホームセンターに売ってるような木ちゃうねんて。仏彫に使うええ木っていうのは、木目が細かい木らしいねん。でも、そういう木って、里山に植林したような若い木じゃなくって、自然木で長い年月育った木やねんて。そういう木が、毎年毎年細かく年輪刻んでいくからできる木目やねん。そんなん聞いてから改めて彫ってる木見つめたら、「あんた……何歳?」って愛しくなってくるやんか。粗末に扱えへんやん、て急に思い始めて。でも身の回りもんもみんなそうやって紡がれて時間があるはずやのにな。あかんわ。インスタントな思考が染みついてるわ。モノ大事にする心のトレーニングしよおもたわ。

途中みんなでお茶休憩の時間があって、おやつ食べながらお喋りしてたんやけど、その間も「あ~はよ彫りたい」ってうずうずして。彫る欲が着火されたみたい。自分にそんな欲潜んでたなんて知らんかったけど。やってみんとわからんもんやな。ようこそ彫る欲。

会でできる時間は限られとるから、アドバイスを聞いて、あとは家でみんな彫ってくるねんて。わたしも次までに家で続き彫るつもり。今日できたのはここまで。立体彫れる日はまだ遠いやろけど、ぼちぼちやってみるわ。