遅いインターネット

Twitter/Xは2010年頃から始めた。2024年始時点で総ツイート数が7万件近くになっている、そこそこヘビーユーザーな方だと思うが、サービスのありようもユーザー層も変わり、自分の効用的にも翳りが見えてきたので、そろそろ離れたいなあと思っている。ここ1年くらいは、やめたいな~やめたいな~と言いつつ完全に手癖で見続けてしまっている状態なので、決意を込めて、なんでやめたいのか、やめたほうがいいのか、を整理してみる。

いらない情報の押し付けがしんどくなってきた

既に多くの人が言及しているところだが、「自分の好きなもので厳選したシンプルなタイムライン」の提供がなくなったのは大きなマイナスポイント。トレンド設定の国をアラブ首長国連邦にして文字と内容を理解できないようにして、さらにfilterをかけることでフォローしてる人の投稿だけを読むようにしているが、いらない情報が完全に目に入らないようにすることは難しく、ずるずるとそっちを見ては情報疲れしてしまっている。やめたい…。

自分の頭で考えられなくなってきた

だいたいXは年がら年じゅう揉めているので、その議論や主張を眺めていると自分も考えている気分になる。しかし自分の場合、あまり詳しくない分野については、どっちの言い分に理がありそうか程度でぼんやり眺めていて、何か怒りっぽいものが沸いた時だけ勢いで突き放してこき下ろしてしまう。これって意味あるのか? 物事の解決や改善からかえって遠ざかるやり方じゃないか? 自分に多少の専門知識や業務スキルがあるものについては大概「見る気も起きない」ということは、SNSに時間をかけるより、一部でも本を読んで勉強するなり、複数人の話をリアルに聞いたりする方がきっといいんだろうなと思うようになった。

災害時に余計にげんなりする

いわゆるデマやインプ稼ぎ、陰謀論、あさっての方向の主張などが乱立するとき「もうほんと嫌や」の気分になる。役立つ情報もあるのだろうが3:97くらいでごく一部な気がする。この方向性も今後、ひどくなることはあっても改善されることはないだろう。役立つ情報は大概、公的情報または企業からの発信なので、自分が情報を取りに行けば無用なストレスが減って万々歳な気がしてきた。

リアルタイムで追いたい&語りたい情報がなくなった

常に最新情報が欲しい!というアーティストもなくなり、リリースやライブについて「今すぐあれこれ言いたい、リアクションも欲しい」時期が去った。ちょっと寂しいけど、まあ自然な変化だと思う。

「ここでしか得られない情報」は実はそこまで必要なものじゃなかった

知らなかった旅先の風景、整った部屋や美食、かわいい犬猫たち。素敵。でもその情報が、その時々の刺激以外に自分に何かを与えてくれたかというと、特に思い当たらない。消費速度も重さもめちゃめちゃ軽い。きれいな画像で見たものや、おおげさなPRで提供される物事の追体験をすることが無意味だとは言わないが、少なくとも自分の中で湧いてくるものが一番目で、知り合いが嬉しそうに教えてくれるものや仕事で味わった課題に関することが二番目でいいと思う。SNSはその秩序をガーッとなぎ倒してしまうところがある、と思う。刺激として強すぎるんかなあ。

それでも残るさびしさと承認欲求との付き合い方を模索したい

今Xで相互フォローしている人はほぼ全員リアルで会った事のある人で、つきあい(?)としては10年選手も多い。他県とかに住んでいてもう滅多に会う機会もない人の生活を垣間見れることは楽しい。数件の「いいね」(ふぁぼ)であっても、あの人に「そうだそうだ」と思って貰えた事がうれしい。この効用が僅かでも残っている限り、アカウントまで消すのはもったいない気がしてしまう。とりあえずは通勤と寝床でXを見ない事から始めて、徐々に離れていけたらいい。

ここまで書いて、なんだか乳離れみたいだなと思った。乳離れをするには新しいものの味に慣れて、その複雑さと楽しみを見出すべし、だと思うので、とにかくちょっとずつやってみよう。タイトルは宇野常寛の著書より、SNSに疲れてしまった方は一読おすすめです。