これまでの経験上、新しい職場に移って日が浅いうちの心境や所感は、書き残しておいた方がいい。組織の色眼鏡をかけていない状態で感じる事は、良きにつけ悪しきにつけ、自分が本来持ちたい指針や願いに近いものが反映されているから。シンプルに読み返した時おもしろいし。そうわかってるけれど、これまた転職直後特有の気遣い疲労と眠気で、連日もういいや、また明日にしようで過ごし続けている…。
出戻り転職は初めてだ。そういうことをするとは思ってなかった。というのも、受け入れられるような組織風土でもないし、もう一回欲しがってもらえる人材ではないと思っていたので。ところが会社もコロナ禍を経て、凝り固まった考えをかなり手放しているようだ。なんでも内製してたのをちゃんと派遣・外注するようになったり、介護のその他の事由で数ヶ月だけ実家からフルリモートしたいというのが認められたり、年単位の男性育休を取ってる人がちらほらいたり、本当に各個人の人生レベルでの「柔軟な働き方」を取り入れようとしている心意気は感じる。そしてそれに異をとなえそうな50代は、相当な割合が退場していなくなっている…。世代が若返ると、組織も変わっていくのか、組織が変わったから旧世代が追いやられたのか。
過去の在籍時に自分の人格や感情を抑え気味にして人当たりよく過ごしてきた心がけも功を奏していて、総じて歓迎ムード。どちらかというと自分だけが旧価値観でがんじがらめ気味で、ニコニコ笑顔で退勤した後に、仕事できてねえ…と希死念慮に襲われていたりする。前職で「やり残した」というほどの悔いは残っていないが、総括ができていない事があるんだと思う。あと単純に気疲れ。とりあえずOJT的に面倒みてもらってる子は結構歳下で、「年上の後輩で再入社」ってやりにくすぎて可哀そうで、めんどくさがられたくないんよ、私だって。
卑近な話をしよう。
社内ドレスコード(女性は「スカートのスーツ」または「ワンピースにジャケット」それに「パンプス」が標準!)がほぼ撤廃になったことと、朝型の勤務時間帯に変わったことはありがたい。ずっとスーツ姿を見てた人たちがパーカーとかTシャツで仕事をしているのは不思議な感じ。私もたくさん揃えたYシャツやストッキングはもてあまし気味で、パック白T着たり、スニーカーにカラー靴下を合わせて機動力よく(ボーダー柄トップスが次のハードル)、8時前には新宿に着く。そこからモーニングをテイクアウトするかコンビニの塩むすびを携えて、総フリーアドレスのオフィスで勤務開始。こんな程度には今風で、助かる仕事場なのに、私はなぜもやもやと気持ちが暗いのか。
週末、藤野に向かった。藤野がわからぬ人に説明すると、東京の果ての高尾から、さらに山梨方面に2駅(ここから中央線の本数は激減し、1時間に2-3本となる)行った、のどかで自然が美しい里山である。ハイキング客も多いほか、アートで町おこし的な試みがそこそこ成功した地域で移住者も多い。この週末は藤野アートデイズ、来月は陶器市。アートデイズは会場巡回に車が必須なところを、自分の足で駅から歩く。弁天橋をわたると、いつもどおり釣り人達がボートを出している。大きな水辺でゆったり釣りをする人たちは、趣味を極めてるように見えていつも羨望の目で見てしまう。少し頭も整理されるかと期待して歩いた。
一本松山あたりで首をもたげたヤマカガシに遭遇して「ウワーッ!!!」と叫んだり、生演奏聴きながらなんだか妙にめちゃうまなホットドッグを食べたり、道を間違えて歩き続けたら枝垂桜の大木が出迎えてくれたりして、2万歩歩いた。考え事はたいしてまとまらなかったが、前職の頃は頭と神経を使いすぎてあまり余裕がなく、こういう風にイベントに行ったり、好きなことをするような楽しい気持ちをずっと抑えなくてはいけない気がしていて、病的ではないものの不健康だったなと思った。そして「不健康」、その程度で辞めてしまった自分にちょっとまだ嫌気がさしているのかもしれない。ああ抜け出せない旧時代価値観。
しだれでない桜もまだ見頃だった。
舗装路しか歩かないだろと油断して半袖綿Tとスニーカーで行っちゃったけど、今日みたいなことがあるからしっかり皮膚は覆わないとと思う。日連のあたりはカエルも多いから蛇も多いんだね…。本日の忘れ物:帽子、ゴミ袋、トレイル座布団、熊鈴、トレッキングシューズ+靴下、長袖トップス。