孤立してるのかもしれない/次に住みたい家(2024/01/14)

01/14

認めてしまったらいよいよ現実になってしまうので、直視するのを避けてきたのだが、現実問題、職場の女性陣に嫌われているようなんだ。私の沸点の低さと、相手方の処理能力の偏りが相性最悪。自分でも近い未来パワハラになりかねないと感じるので、戒めなければと思うが、一緒の檻に放り込んでおくのもどうかしてるぜとも思う。ボランティア団体や趣味のサークルじゃないんだから。

年末年始で「9つの性格」、いわゆるエニアグラムの本を読んだ。ちょっと藁にもすがる思い。自分は複数のタイプに合致していたが、一番強く出ているのはタイプ3「成功を追い求める人」(達成者)。とにかく効率的に成功していきたいので、部下やプロジェクトメンバーに足を引っ張りそうなやつがいると排除する方向に動きがちらしい(まさに)。見込みのある部下や新人ならしっかり育てるが、自分より遥かに歳上なのにまともな文章ひとつ書けない、修正を入れたら文句がすっごい多い、いつまでたっても締め切りを守る事を覚えてくれないとか、そういう話にならない場合はもう相手にしたくなくなってしまう。

私は「嫌な奴」だろうか? 各々の個性を持ち寄った多様なチームの方が強いというのは、全員が一定レベルの汎用スキルを持った上での話なんじゃないか。私が退職する理由の3割くらいは、この「同じ檻に入れないでください」問題が占めている。今の職場のことは、自分がいなくなれば平和が戻ると思うのでもうどうでもいいが、私の中にはこの分断をうまく乗りこなせなかった挫折感が多少ある。

高校あたりから「付き合う人を選ぶとこんなに人生楽なのか!」というのを味わってしまって以降、階層を選んで落ち着くことを特段悪いことだとも思わず社会に出た。その後30歳前後で遅ればせながら倫理観みたいなものが育ってきて、令和になり分断と格差が社会問題なのだなと認識できても、私の根っこが腐っているので、「どんな相手も尊重しなければ」という強迫観念もしくは自分を抑える我慢の形を取ってしまう。で、破綻もしくは逃避。今回もダメだったなあと自分にがっかりしている。

01/15

親の転勤や不仲その他の事情で、やたら引越の多い子供時代だった。幼稚園で2回、小学校で2回、中学は奇跡の0回、高校で1回。部屋の使い捨て精神が宿ってしまったのか、上京してからも引越ばかりしている。東京で住んだ家はすべて賃貸だが、今の部屋で6件目だ。23区内も都下も両方住んだ。

次の仕事はそこまで通勤の必要がなさそうなので、思い切って今まで住んだ事のない部屋もいいなと思っている。とにかくちゃんと通勤できること第一で住居を選んできたので、その縛りを一回解いてみたい。家賃をけちけちせずに。

いろんなものを出し渋っている内に事故や災害でころっと死んでしまうかもしれないし…と最近よく考えるようになった。三十代後半で癌の診断を受けて四十代前半で亡くなった人の経過とか心情とかも食い入るように読んでしまう。後世に名前も遺伝子も残らないから、なるべく楽しく財産を使い切って死にたい。そしたらやっぱり住環境大事ですよね。

山のふもとの戸建てで霧に包まれたりとか、湖のそばで朝の散歩したりとか、車がないと本当不便じゃーんとか文句言いながら暮らしてみるのもいいなあ。

夜、ごはん食べながらNHKの番組で盲ろう者に関する番組(録画)を見る。盲ろう者、音も映像もない中で言語を操れるという点が何度考えても超人過ぎるのだが、なんとなくこういう「尊敬の念」(障害があるのに凄い!)には盲・ろう>四肢>精神障害≧知的障害という序列がある気がする。disabilityはdisabilityなのに、このジャッジはどこからくるんだろう?

あとインターネット検索を点字化できるデバイス、そんなのもあるのか…と勉強になった。最近、Webアクセシビリティ対応の押し売り営業にしつこくされて勝手にも~やだとか思っていたが、そういう風に使われるんだ、やっやんなきゃ…と思うなど。