『続きと始まり』、小説の力について

fukiteasobiki
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2024年1月6日(土曜)の日記

朝起きて、同僚の真似をして読書録を作ろうと思うものの、洗濯しながらTVerでドラマを見て、その後もなんとなくツイッターなど見てしまう。ンモー。

読書中の『続きと始まり』が気になって落ち着かないのもあるし、今日はリスト制作は諦めて、読書の日だと割り切った。

それで、一日中読んで読み切ったんだけど、この小説を年始に読めて良かった。

2020年の3月から、2022年の2月までの2年間を、3人の主人公それぞれの視点から描いた作品。一人目の優子は滋賀県で暮らす主婦。二人目の小坂は妻子とともに東京で暮らす男性。三人目の“れい”は東京で一人暮らしをする女性。

それぞれの生活……仕事、家族……周りの人との会話や考えていること、そういうのがひたすら、淡々と描かれる。緊急事態宣言があって、そのために仕事のやり方や生活のリズムを変えなきゃいけなかったり、たまに会う姉妹や親との間に出来事がおこり、何かを考えたりする。2011年の東北大震災のこと、2001年のアメリカ同時多発テロのこと、1995年の阪神大震災のことを、各主人公たちが思い出したりもする。それらの社会的に大きな出来事と、自分の現在を照らし合わせたり、誰かのことを思い出してみたり。

ふと思い出す、ていうけど、ふと、の前にたぶん何か思い出すための“トリガー”がある。空中にその“トリガー”が漂っている。

なんというのかな。三人それぞれの「ふつうの」暮らしや考えたことが描いてあるだけなんだけど、その「ふつうの」暮らしを描くだけで、人ってこんなに社会と関わって生きているんだねと思い知らされる。それがすごい。

社会、世の中のこと。差別や偏見とか、政治の悪いところとか、大衆のあり方とか、ひとつひとつ自分も思ったことがあるようなことを、この小説のなかの人も思ったり考えたりしてる。

そういう今の気分というのか、社会全体の「かんじ」をまるごと小説にすることってできるんだ、ということに感動したんです。

うーん、なんか書いても書いてもうまく言えないな。

自分は思想的に何々派だ、とか、今はこういう立場だ、とか、そこまで明言できないけど、社会に対して思うことはあるし、モヤモヤしてるよ、っていうのを、モヤモヤしてるままの人々を作品として形にできるって、どういうことなんだろう。

強い言葉で鼓舞されたわけではないのに、ここで生きることについて、強いエールをもらった気がする。

あと、37歳のいま読めたことも大きいかもしれない。年を取るって、単純にたくさん何月が経ってるから、その間にいろんなことが起こる。嫌な自分の姿も知ってる。人との間で取り返しのつかないことしたり……そして、取り返しのつかないことって、本当につかない。それって災害と同じで、起きた出来事は消せないから。

乗り越えるとかじゃなくて、嫌な記憶とか、自分の過ちを、そのまま持ったまま、なんとか生きていくしかない。ちょっとでもマシな自分になりたい。そういうふうに、きっとみんなそうして生きてる。そう思うと人間のことが愛おしく思えてくる。

……こういうモヤモヤとした気分が確かにここにあることを、小説家がちゃんと見てくれていて、知っていてくれた。それを小説の形で読むことができた。ほかにも、この小説を読んだ人と、ここを参照点にして、また何か話したり考えたりすることができる! すごいことだ。

・・・

実は、柴崎友香さんの作品は、これまで手に取るのを躊躇していた。まわりの人におすすめされることもあって、いつか読みたいと思っていたけど、阪神大震災にまつわる話が多いというイメージがあったから。

なんか、昭和の太平洋戦争とか、震災とか、どんなに感動作だといっても、こわくて気持ちがしんどくなるので、何となく避けていた。

でも、なんかもっと作品の力って大きくて、自分の臆病なところ、恐れる気持ちを受け止められた気がする。

3日に見た映画『枯れ葉』もそうだけど、小説とか詩とか映画、そういうものに生きる力をもらう人生だ。やれるやれる、まだやれる。

@fukiteasobiki
それでは日記を書こうかな!