ル・ブランは僕の薔薇。白くてひらひらのお姫様。僕がレディと呼ぶと喜ぶけど、それは他所の王子様に呼ばれるのが好きだから。だからって毎日王子様に会いに行く訳にもいかないので、ル・ブランは庭では憂いがちだ。恋に恋する僕の薔薇。優しくて素直なお姫様。恋に溜息する君の横顔の愛しさを、僕しか知らないのはちょっと不憫だ。
「ノックアウト様……」
「さっきお会いしたばかりだろ」
「ずっとお会いしてたいの!もう、リンデンは恋心ってものがわからないのね」
「わかってる君が変な薔薇なんだってば。ほらおいで、虫がついていないか見ておかなくちゃ」
薔薇は基本的には出歩かない。それは自分の庭の外に危険があるからだ。虫もそうだし、病気になる可能性だって庭の中よりずっと高い。だから普通、薔薇は庭から出ない。ダブルノックアウト様はしょっちゅう庭を出てあちこち歩き回ってるみたいだけど、それはカモミールが虫除けが上手い――と言うか、ダブルノックアウト様が出歩くからカモミールは虫除けだけでもとくべつ上手になったんだと思う――からっていうのもある。
なので勿論僕はそんなに虫除けが上手くない。病気の対策だって、庭の中でならやって来たけど外となると話は別だ。だから本音では、あんまり出かけないで欲しい。出かけるにしても僕を連れて行って貰えたらと思うのに、ル・ブランはガーデナーを連れて逢引きなんて出来ないわ、と僕を置いて行ってしまうのだ。
恋に恋する変な薔薇。恋に夢見るひどい薔薇。ル・ブランは、僕が恋している事にだって気付かない程真っ直ぐだ。真っ直ぐにダブルノックアウト様だけを見つめているから、僕がどれだけル・ブランを見ているか知らないまんま。
「ねえリンデン、ノックアウト様は本当に素敵な方なのよ。誰にだって優しくて、あたしにもすごく優しくしてくれる。ノックアウト様の指先を知っている?本当にね、花弁に触れるよりもずっと優しいの。それにね、おしゃれして会いに来てくれるのは君だけだよって。そう仰る時のお顔が少しだけ寂しそうでうっとりするの……」
素敵な薔薇様だねと返しておく。もう何度も聞いているから知ってるよ、とは言わない。言えるもんかとすら思う。他のガーデナー達は僕の方こそ変なガーデナーだと言うし、時折ばかだと言われるけれど、全員恋を知らないからそういう風に言って来るのだ。
「でもね、あたし知ってるの。ノックアウト様はいろんな薔薇達にそれぞれ良い所を知っていて、それぞれに大事に想っているの。みんなもあたしも、大勢の中のひとり。誰もノックアウト様の一輪にはなれないのよ……それが寂しくなる時もあるし、他所の薔薇と楽しそうにおしゃべりしているノックアウト様を見ていると泣いたり暴れたい気持ちにもなるの。恋ってちょっとだけ大変ね」
僕はまた、そうだね、とだけを返してル・ブランの状態を丁寧に確認した。ル・ブランは花とおんなじ、真っ白で純粋で、誰もが撫でなくなるような可愛い子だ。人間の恋愛に憧れて、憧れたままに実践してる、ちょっと考え無しな所もあるけれど。ダブルノックアウト様が相手で良かったと僕はひとまず思っていて、それにカモミールが言うにはダブルノックアウト様の方もル・ブランのアタックはお嫌じゃないそうだ。と言うか、カモミールが言うには。会いに来てくれる薔薇なんて他にいないからとっても嬉しいみたいだ、とか。
ダブルノックアウト様は恋をしない。ル・ブランのそれだってごっこ遊びでしかない。この空中庭園には恋愛感情というものが無いからだ。誰も知らないものを、好きなようにつついて遊んでいるだけ。薔薇と、ガーデナー。二つを結ぶ愛があれば良い。クイーンローズ様のお考えは僕等にはわからないけど、あの方がそうあれと僕達に教えてくださったのだ。花たちが美しいまま、愛されて咲くのなら、この形であり続けたいと僕も思っている。
「あーあ。あたし、こんなんじゃきっとずうっと、恋を実らせる事なんて出来ないわ」
なんて答えようか。ちょうどル・ブランの点検を終えたので、もう大丈夫だよ、と背中を押した。腰掛けていたル・ブランは、お礼を言って、だけど恋を憂いてか立ち上がる事はしなかった。
僕はル・ブランにずっと言ってしまいたい事があって、それは僕がル・ブランに恋心――ル・ブランから聞かされ続けた恋についてを纏めるかぎり、おそらくこれはル・ブランの求めている恋なんじゃないかと思っているだけの親しみ――を抱いている事じゃなくて。でも確かに恋の話で。
ねえル・ブラン。
僕らの恋って、きっと、そんなんじゃないよ。
そんな風に、言ってみせたいのだ。
僕はル・ブランが幸せならそれで良い。ダブルノックアウト様がル・ブランと恋をするっていうのは、ちょっとどころじゃなく難しいだろうけど。でも、ル・ブランは、今のル・ブランみたいな溜息ばかり吐いている恋をしたかったのかな、と思うのだ。ル・ブランの事をずっと見て来て、ル・ブランの恋への憧れだってずっと眺めて来た僕としては、違うんじゃないのかなと思うのだ。
寂しくなったりしない。泣いて暴れたい気持ちにもならない。ル・ブランが元気でいてくれるならそれが良いし、綺麗に咲いているならそれが一番で、楽しそうにしていてくれたら最高だ。会えなくたって、僕はずっとル・ブランの事を考えている。考えて溜息を吐く暇は無い。だってずっと、ル・ブランの事を考えてるんだから。それだけで僕は幸せな気持ちでいられるのだ。
「リンデン、聞いてる⁉」
「聞いてるよ。可愛い声だって褒められた話だろ」
「蜜蜂が近寄って来て一緒に眺めてた話。……あたしの話、つまらない?」
「まさか。そんな訳ない」
怪訝な目が向けられる。ちょっと考え事してただけと素直に伝えた。何の、と聞かれて、ル・ブランの事、とこれも素直に伝える。他の事を僕が滅多に考えない事を、ル・ブランは知ってるのかな。恋に盲目っていう言葉が良く似合う。恋に猛進してるだけにも、まあ、見え無くは無いけれど。
「僕はル・ブランの話を聞いてる時間が一番好き。ル・ブランは? 僕と話している時間は、嫌い?」
ル・ブランの答えを聞いて、僕は確かに満たされた。ここはクイーンローズ様の見守る花の園、美しく手入れされ、愛されて綺麗に咲く薔薇達の理想郷。ここに恋は必要ない。だけど、でも、これが、僕の持ってるこのあたたかい心こそが、ル・ブランの大好きな恋だったらいいのになと――僕がル・ブランと恋を出来たらいいのになあと。ちょっとだけは思ってしまうのだ。
※収録作「君は酷いひと」(書き下ろし) 全文