わたしの部屋の窓はベランダに続いていて、日当良好、景色には緑が多く、季節には鶯の囀りすらも聞こえてベランダでは花も咲くお気に入りの場所だ。
朝起きて気持ちよく晴れていると、光合成がしたいなあ、と思う。勿論わたしは人間なので光合成は出来ないけれど、心持としてはそのように日向ぼっこがしたくなるのだ。この時のわたしにはお決まりとも言える三種の神器が存在して、それは紅茶の入ったマグカップといつもの音楽、いつもの小説、の三つである。窓を開けてそのまま桟に腰掛けているので、マグカップのように底がたいらなカップでないとせっかくの紅茶を零してしまうし、いつもの、というもの達も本当にいつもの決まったものがある。音楽はみきとPというアーティストの「MIKIROKU」というアルバムで、小説は江國香織の「神様のボート」だ。ちなみに音楽と小説は春のための用意で、秋の過ごしやすい間で光合成をする時はNICO touches the Wallsのアルバム「オーロラ」を流しながら江國香織の「きらきらひかる」を読んでいる。
いつかわたしの小説は江國香織の気配がするのだと言われた時、否定の言葉はひとつも思い浮かばなかった。まだ制服を着ていた頃からずっと読んでいる作家だし、この人の小説で私は恋をする人間達に触れて来たのだ。だから当然の事で、それに言われてからは自分でも気配を探し始めたのは面白かった。だからという訳では無いけれど、そういう事も踏まえて、わたしはこれまでもこの先も、変わらず江國香織の本を読みながら光合成をしているのだと思う。
わたしにとって、このベランダでの光合成は何かを作り出す時間であり、自分を確認する時間でもある。殆どの場合、本を読んでいる内に自分でも何か書きたくなって部屋に戻るのだけれど、同時に、と言うべきか。それを踏まえてと言うべきか。陽に当たって、風を受けて、文字を――もうずっと自分の中に血のようにして巡っている小説を――読みながら、わたしはわたしを思い出している。
日常生活の中で、どうにもわたしは過ごし辛くて、ゆっくり日向ぼっこなんて仕事があれば出来るものでも無い。休みの日に、よく晴れて、窓を開けたくなる季節で、起き上がれている自分がいる。そういう時にこそわたしは光合成をして、ああこういうわたしを保ちたいのだ、と思い出すのだ。憩いでもあり確認作業でもあり。そして何より、わたしにとって大切な創作活動の一部なのが光合成なのだ。
このエッセイを書く前もわたしは光合成をしていた。春なのか冬なのかよくわからないまま過ごして来て、ようやく春だと確信を持って来た頃だ。昨日、仕事に行く前に、ベランダでチューリップの蕾を見かけた。明日には咲いているだろうと思ったけれど、明日である今日になって見てみたら開ききっていて驚いた。いざベランダに出てみた時にも笑ってしまったのだけれど、あんまり太陽が眩しくて、結局長い間は腰掛けてはいられなかった。なんともまあ元気の良い春である。だけどそれが落ち付けた。わたしはこの季節に生まれた、この季節を愛する人間なので。
部屋とベランダを繋ぐ細い窓枠、不安定な紅茶のマグを無理矢理安定させて、本と、音量を落したイヤフォンを携えて。ベランダに足を放り出しながら、生きていくために陽射しを浴びる。あなたと一緒に過ごしますよと春を相手に思いつつ、ありたい自分であるために。
※収録作「光合成」(書き下ろし) 全文