パフスリーブのロングワンピース。黒いワンピースの襟や袖には、白いフリル。肌は出さない、そんな事はしない。白いエプロンにも、フリルはたくさん。わたしはこの制服が好きだ。メイドの誇りが詰まっている。わたしは、この御屋敷で働くメイドのひとり。旦那様にも、奥様にも、お嬢様にも坊ちゃまにも、私は多くのメイドのひとりでしかない。それでいいのだ。わたしは、メイド。それだけ。
今日は、皆様がお揃いになったテーブルにお食事を運ぶ。普段そのお役目を務めているメイドが、風邪をひいてしまったのだ。風邪をひいてしまうなんて、可哀そう。御奉仕できる機会が、減ってしまう。わたしは、だから、体調管理にもとても気を使っている。勿論、お仕事にも。だからなのか、メイド長からも目を掛けて頂いていて、なので今日はこうして皆様に給仕をしているのだ。
「ねえ、あなた」
「はい、奥様」
奥様がわたしに声を掛けてくださった。私は軽くお辞儀をして、顔を上げないままに応える。奥様は、それが当然なので、何も言わない。わたしも、なんとも思わない。
「いつもの子はどうしたのかしら」
「はい。風邪をひいてしまったので、本日はお休みを頂いております」
「そう、なら後でお見舞いの品を持たせますから、そこで待っているように」
「かしこまりました」
名前を憶えては頂けないわたしたちだけど、いつもの子、くらいには、わたしたちをこのご主人様達は認識してくださっている。お見舞いだってくださる。とても良い方達だ。わたしは、この御屋敷のメイドが出来ている事が、とても誇らしい。嬉しくて、自信で、自慢で、幸せだった。
お食事の後、私は食堂で控えていた。奥様の使いで、きっとメイドがお見舞いの品を持って来る。やる事の無い時間というのも不思議な感じがするけれど、今は、待つ、というのがお仕事だ。わたしは時計の隣でしゃんと背筋を伸ばして待っていた。時計の、かち、こち、という音がしんとした食堂に響く。そこに、扉が開く音が入った。
「待たせてごめんなさい」
「お」
お嬢様、と、声が掠れた。淡い水色のワンピース姿のお嬢様が、踵の低い靴でこつこつと床を打ち、わたしの元にやって来た。
「これ、お母様から、いつものメイドに。ねえ、今日はどうしてあなたになったの?」
「はい、メイド長に、あなたになら任せられる、と言って頂けましたので、わたしに」
「そう。あなたやっぱり質が良いわ」
わたしは高揚してしまった。お嬢様にわたしを認めて頂けた!それはとても、本当にとても、光栄な事で、名誉な事だった。
「ねえ、相談なのだけれど。あなた、わたくしの専属メイドになりません?」
「え」
「ふふ、驚いているの?可愛いのね、あなた。顔が真っ赤よ」
お嬢様がわたしの顔に手を伸ばす。わたしは思わず後退って逃げてしまった。お嬢様こそ、驚いた顔をしたけれど、すぐに笑みを浮かべた。時折お見掛けする嫋やかな笑みとは違う、意地の悪い笑みだった。
「いいわ、あなた、明日からはわたくしのものにおなりなさい。これは命令です、よろしくて」
「は……はい。かしこまりました、お嬢様」
「良い子ね。わたくしは素直な子は好きよ。従順な子はもっと好き」
お嬢様の手が、今度こそ私の頬に触れる。だめ、わたしは、メイドのひとり、大勢のメイドのひとりで、だから顔なんて無いに等しいのに、憶えられてしまうなんて、そんな事。
「――。ずっと気にかけていたんですのよ」
名前を、呼ばれた。わたしはとうとうその場で動けなくなってしまった。お嬢様に、わたしは、全て憶えられていた。わたしの誇りに、罅が入る。だけど、とても、嬉しい。罅は、甘くわたしを支配した。
「光栄、です。……御主人様」
「ふふ」
お嬢様はわたしを抱きしめた。柔らかくて、甘い花の香りがして、妙に心臓が逸る。どきどきとした胸の音を聞いたのか、お嬢様は、私の御主人様は、ふんわりと笑った。花の綻ぶような、美しい笑顔だった。
「やっとね。嬉しいわ」
わたしは、メイド。この御屋敷で働くメイドのひとり。旦那様にも、奥様にも、お嬢様にも坊ちゃまにも、私は多くのメイドのひとりでしかない。それでいいのだ。わたしは、メイド。それだけ。それだけなのに。
お嬢様に、御主人様にこんなに胸を高鳴らせるなんて、わたしはメイド失格だ。けれど、御主人様のメイドとしては、これが正解で。わたしの混乱は、その後の日々にも続いていくのだった。