「来たる11/22、広島駅新幹線口から僕は関西へと逃亡を図る。」
この頃動悸がドーキドキではないのだが、ストレッサーがレッドゾーンを振り切ってしまったので関西へと旅行へ行くことにした。別に他の土地でもいいのだが、自分の父親が住んでいるというのがとにかく大きい。それに20歳の祝いで親子で飲みをするってのもまだできていなかったので、それをするためというのもある。今からワクワクが止まらない。
まずは関西へ向かうため新幹線に乗るのだがしぶちんな僕は自由席しか選ぶことができない。なけなしだ。ここで「バスの方が安いじゃん」と思った人。正解。本来であればバスで5時間とか揺られながら行けばいいのだが…この頃は腰痛がまたひどくなり長時間座るのが苦痛だったりしてたのだ。許せ財布、今回は仕方ないんだ。
そして座れるかどうかも分からない三連休初日の自由席。立ちっぱなしの方が腰に悪いのだが、用意周到な僕は新幹線の種類まで考えており、乗る新幹線をしっかりと計画していた。時間はかかるが確実に座れる方法。これは友人にも教えてもらいつつだったので間違いはないだろうと確固たる自信があった。当日の朝までは…
いざ当日乗り場へと向かう。もちろん計画を立ててくれた友人も連れて行った。田舎者は新幹線を間違えるかもという恐怖を常にこの胸に抱いているのだから。今思うと朝早くに電話でたたき起こした挙句一人だけ旅行へ行くもんだから申し訳ないことをしてしまった。何か今度返すべきだろう。そして掲示板を見る。目当ての車両が来るまではまだ少しあるなと思った矢先にあるものが目に飛び込んできた。なんと臨時の新幹線だ!これに乗れば移動時間は倍近く短縮されえる。乗るしかないと思いここ数カ月の中でも5本の指に入るレベルで走ったと思う。運動不足のせいで周りから見たらキャリーケースをゴロゴロと転がし悠長に歩いていたように見えただろうが今はそんなことはどうでもいい。とにかく自由席に座れか否かは大きなことなのだ。そして新幹線が止まる。ドアが開く。その瞬間に飛び乗る。完璧だ。問題なく席を確保できた。一旦落ち着いてから友人にもお礼のラインを打った。そして出発のベル。窓の向こう側にいる友人に手を振ったのだが、綺麗な中指が返ってきた。本当にごめんって…
新幹線の中は快適そのもので椅子も座りやすい。90分もすれば関西につくのでその間何かしたいなと思った。流石に自由席だし、まだ朝8時。流石にビールとかお酒を飲むわけにはいかないのでとりあえず本でも読むことにした。今回のお供は、三島由紀夫の金閣寺だ。見に行く予定はないが一応京都にも立ち寄るのでそのつながり。
ゆっくりと本を読んで気が付けば岡山手前と順調に進んでいた。目的地はまだまだ先。ひと眠りしたってバチは当たらないはずと思いほんの少しまどろみに身を預けることにした。規則正しい揺れと線路を走る音が心地の良い睡眠導入音に聞こえたのが僕の最後の記憶だった。
さて、どれほど眠ったのだろうか。目を覚ますと隣の席の人が変わっている。”おかしい”。今までで見たことない場所を走っていて思ったより田んぼが見える。田舎だ。”まずい”。遠くの席で赤ちゃんが泣いている。どうしたのだろうか、おなかがすいたのだろうか。"もしかして"。
寝過ごしたかもしれない。。。
脳内はパニック支離滅裂なことを想像し続ける。新幹線の中にある情報が先鋭に脳内へと流れ込んでくる。とにかくまずは状況を把握することからだ。僕が寝たのは岡山手前。体感では1時間以上寝ている。ということはぎりぎり新大阪を超えた可能性もある。しかし景色が新大阪を少し過ぎたにしては田舎すぎる。可能性としては京都手前かその少し先。つまり次の駅で降りれさえすればまだリカバリーが効く。とりあえず一旦携帯を見ようと思った時車内アナウンスが。これ次第では完全にお先真っ暗になる。熱心な神様信仰をしているわけではないがとにかく祈った。神様とにかく新大阪でありますようにと。
「次は新神戸~新神戸~」
よし。新大阪どころかその手前にすら着いていなかった。神様ってのは本当にいるのかもしれない。家に帰ったら神棚を作って毎日お祈りしよう。毎年出雲大社にも初詣に行こう。今日から僕は八百万信仰をしよう。とか思ったり。とりあえず助かったのだからホッと一息ついてから荷物をまとめ始めることにした。
そんな阿呆を乗せた新幹線は新大阪へと入る。ホームに止まり新幹線から降りて久々の関西。景色は前と同じだ。冬に片足突っ込んでいるので空気の冷たさは少し刺さるが気分は良い。この清々しい気分のまま父親に会おう。そう思いながら僕はホームから出て改札へ向かう。やはり人の多さは尋常じゃない。前に進んでるのか後ろに押し返されてるのか、わからない程度にはいる。社会の荒波に揉まれるとはこのことなのかもしれない。嘘だと思うけど。
何とか、やっとこさ人波を泳ぎ切り改札にたどりつく。余談だが父は背が低い。つまり改札の人込みだとどこにいるのかわからないのだ。とにかく改札を抜けて父を探す。こっちに向かい手を振る人影が見えた。間違いない父だ。そう思い人の波をさらに超えていく。今回は森を駆け抜けるような感覚が近かったかもしれない。そして人森を抜ける。そこに居たのは。
”みうらじゅん”そっくりの風貌になった父だった。サングラスにリーバイス。そしておそろいの特注Tシャツ。見た面は完全にアウト老。日々疲れているのだろう49歳には到底見えない。苦労の証であるビール腹と白髪がよく目立つ。
対面時の第一声はお互いに「よう」だった。親子の距離感は普通の家庭と比べると近い方だ。しかし息子としてはそれがとてもありがたいことで、対等ではなくとも近い存在として接してくれるのは小さな自分を大人だと認めてくれているような気がして嬉しかったりする。こうして本格的にアウト老と阿呆の旅は始まる。
次回。
都に似合わぬ馬鹿親子。