2010年代に「社畜」という言葉が広まり、「キツいだけの会社勤めより起業やフリーランスの方がカッコいい」的な言説が流行した。それに乗っからないとダメみたいな圧もあったと思う。でも起業の弱肉強食的キツさと、それに比べて気楽な会社勤めという現実は上手いこと隠されていた。一体どういう目的のブームだったのだろうか。
「上手くやればブログやYoutubeで食べていける時代だ」という一見魅力的な言葉は、「それができない奴は二流三流」というダメ出しを含んでいた。でも当時からブログやYoutubeを専業にするのはほぼ不可能だったはずだ。なのに「できないのは自分のスキルが足りないせい」とか「選んだ手法が悪いせい」とか自己責任にされて、セミナーとかオンライン・サロンとかに誘導される。新たな搾取の構図だったと思う。
もちろん起業やフリーランスの方が合っていて、それでやっと自由になれたり、生きやすくなったりする人はいると思う。でも雇われている方が結果的に気楽だったり、生きやすかったりする人がいるのも事実だ。みんながみんな、細かな書類仕事や経理や何やかやをワンオペでできるわけではない。それを無視して「起業すべき」とか「まだ社畜やってるの?」とか言って価値観を押し付けるのは、一種の暴力だった。
自分も2012年に教会が解散して職探しをする羽目になった時、ブロガーとしてやっていくことも一瞬考えてみた。書くことが豊富にあったからだ。でも割に合わないし、不安定だし、軌道に乗る見込みも薄いしで、すぐ除外した。そこまで起業やフリーランスを推す空気の方が不思議だった。「社畜」という言葉のチョイスも然り。「脱サラ」を選択をする前に、被雇用者がどれだけ守られているか、どれだけ経済的負担が軽減されているか、考慮しないと危ない。
だから「社畜」という言葉には、できるだけ大勢を脱サラさせよう、みたいな意図があった気がする。
何かのブームが到来して、大勢が過熱気味になっている時は、それ自体に疑問を持ったり、それに乗っからない人の意見を聞いたりした方がいい。今後もそれを肝に銘じていきたい。