「あなたにもチェルシーあげたい」のフレーズで有名なチェルシーが生産中止になると聞いた。そのニュースで久しぶりにチェルシーという飴菓子の存在を思い出した。その前に意識したのがいつだったかさっぱり思い出せない。つまり私の中では、チェルシーは既に存在していなかった。
それが今回、実際に「存在しなくなる」。どれくらいの人が悲しがったり、衝撃を受けたりしただろうか。正直そんなに多くないのでは? と思う。なぜならチェルシー愛好家が沢山いるなら、生産中止にならないはずだからだ。
お店やサービスが(経営難や需要の低下などで)なくなるのをしばしば見る。ここ数年はコロナ禍の影響も大きかったかもしれない。その度に「なくなる前に利用しよう」みたいな動きが起こるけれど、そんなに惜しむならもっと早く動くべきだったのでは? と思ってしまう。
近所を歩いていたら、工事用のフェンスが張られているのを見つけた。早々に更地になっている。はて、ここは何だったけ? 考えてみるが思い出せない。ほぼ毎日歩く道だけど、それだけ関心がなかったということか。「なくなるのを惜しむ」以前に、「なくなったことさえ気づかない」有様だ。
そんなふうに普段から存在を気に掛けない、なくなって気づくチェルシー的な何かが、私たちのまわりにはある。