年末年始の休日に、街を行く家族連れをよく見た。
特によく目に付いたのが、方向を指差す母親(たぶん)と、ベビーカーを押しながらそれに付いて行く父親(たぶん)という組み合わせ。若い親子3人組。
自分もああだったな、と思い出す。休みのたびに「家族サービス」に出掛ける。週末ごとにお金を使って「良い思い出」を作る。パートナーの期待に応えて「良い父親」や「良い夫」でいる。満面の笑みで。休日は正直ゆっくりしたかったけれど、そう思うのは何か悪いことのようだった。
仕事を言い訳にしないで育児に精を出す父親。率先して親戚付き合いし、定期的な贈り物を忘れない夫。妻に指摘されたら間違いを認めて改める夫。それは望ましい姿なのかもしれない。自分を犠牲にしてその要請に応えるのが「社会性のある大人」なのかもしれない。
でも結果的に自分には無理だった。できる限り頑張った。無責任なことはしたくなかった。けれど同時に、自分を犠牲にし尽くす人生が正しいとも思えなかった。答えは分からないけれど、少しは自分の人生を生きたかった。そう思うのは間違っていたのだろうか。
若い家族連れを見るたびにそんな考えが頭をよぎる。彼らは幸せなのだろうか。自分は幸せだったのだろうか。できなかった自分は間違っているのだろうか。でも無理だったのだ。