漫画『エクソシストを堕とせない』を1巻から読み始めた。
主人公は10代の凄腕エクソシスト。サタンを打ち倒すべく幼少期から訓練(?)されてきた。任務としてある少女の護衛に就くが、彼女は少年を堕落させるべく、サタンから遣わされた悪魔リリスだった。こうしてエクソシストと悪魔の同棲生活が始まる。
キリスト教ガチ勢から怒られそうな内容だが、私はこういう作品を率先して読む。批評することでよりキリスト教の理解が(キリスト教が社会においてどのように理解されているかといったメタ理解も含めて)深まると思うからだ。こういうフィクションを禁止ばかりしていたら、何の進歩も得られない。自教会の伝統的な聖書理解の中をグルグル歩き回るだけだ。ハムスターみたいに。
1巻で早速気になったのは少年の自己犠牲観だ。彼は「生きていても苦しいから、(悪魔との戦いに身を投じることで)早く殉教して天国に行きたい」と願っている。自分の命に価値なんてない、と思っているのだ。
ここに自己犠牲の矛盾がある。自己犠牲とは尊いもの(A)のために、それと同じくらい大切な自分の命(B)を捨てることだ。(A)と(B)は「等価」でなくても、相対的に近い価値でなければならない。でないと犠牲にならない。しかし少年は自分の命を「尊くない」と思っているので、犠牲として成立していない。という矛盾だ。
その自己犠牲の価値は? と考えながら読むのも面白い。