直感に対する贖罪

fuminaru
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 「直感を信じろ」と言う人と「直感を疑え」と言う人がいて混乱する。どっちもある程度正しいように思う。「直感がいつも正しいとは限らない」と言うのが妥当な線かもしれない。

 自分はカルト牧師と付き合う中で、はっきり言語化できなかったけれど「この関係はどこか健全ではない」と感じていた。いつか正面から向き合わざるを得なくなり、決着を付ける時が来るのでは……みたいな予感?めいたものが心のどこかにあった。結果的に、その直感は当たっていた。

 だから私個人の感覚として、直感は何より大切だ。それを疑うとなると、またカルト化教会で苦労するのと似たようなコースにはまり込んでしまいそうで怖い。かといって「直感がいつも正しいとは限らない」のも理屈の上では分かる。そういうことをグルグル考えると「三すくみ」みたく動けなくなってしまう。

 でも間違っているにせよ損するにせよ、「これは嫌だ」という最初の感覚は大切にしたいと思う。ただのわがままの「嫌だ」かもしれないけれど、少なくとも「自分が嫌だと思っている事実」を無視したり、誤魔化したりするのは断固として避けたい。

 それはカルト化教会で直感を無視してしまった自分の、直感に対する贖罪みたいなものかもしれない。

@fuminaru
Listen before I go.