(前回の続き)そうしてひたすら毎日ブログを書き続けた。当時のブログ指南書によると、毎日書くのが知名度アップに繋がり、溜まった記事は資産になる、とのこと。半信半疑ながら愚直に従ってみた。
働いて、帰ったら記事を書いて、ランニングして、寝る。そんな毎日。「普通じゃん」とか「つまらなそう」とか言われそうだけど、狂った教会生活を約20年間続けた私には、そんな「普通」が新鮮で自由で、楽しかった。え、こんな自由でいいの? 自分のために生きていいの? と思った。安心した。同時にそれだけ心理的に縛られていたのだと愕然とした。
1年くらい経つと、ブログ記事にコメントが付くようになった。教会批判を当時は厳しい言葉で繰り返していたけれど、それでも「分かります」という趣旨のコメントをいただけて、嬉しかった。しかしそれは自分のような教会被害者が他にもいる、という事実の証左でもあった(当時はまだ、自分の教会のような酷いところはそうそうないだろう、と思っていたのだ)。
そして驚いたことに、コメントの中には(記事中に固有名詞を一切出さなかったので)「自分の教会のことかと思いました」という趣旨のものが複数あった。それだけ普遍化された信仰的虐待が、おそらく日本中の教会で少なからず起こっているらしかった。(次回に続く)